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257号 感話:弥陀の誓願不思議 [ 令和8年5月1日 ]

境内に すみれてんてん 母想う

257号 感話:弥陀の誓願不思議 この時期になるとすみれが咲き始めます。紫色の小さな花をつけます。母が元気だった頃、まだ花をつける前のすみれを指さして「これは草じゃないから抜いたらダメだよ」と何度か言われました。言われた頃は庭の一角にあったのですが、次第に増えて境内のあちらこちらに今は咲いています。草も伸びて草取りをするときになると母の声が聞こえてくるようです。母は花が好きでした。


冬囲い外し御礼 4月5日

257号 感話:弥陀の誓願不思議  真ん中に立つ灯ろうをバックに写真を撮りました。今年の大雪で頭の部分二パーツが落下。それがプロの技で復元されました。クレーンで持ち上げ、元に戻す連携作業は見事というほかありませんでした。すごい職人集団です。ありがとうございました。


お取越報恩講の御礼 4月19日

257号 感話:弥陀の誓願不思議  はじめて僧侶の内陣出勤が椅子になりました。外陣で参拝されるみなさんはいつの頃からか座布団ではなく椅子に代わりましたが、坊さんは座布団のない畳に正座が基本でした。椅子になると楽です。勤行に集中できます。
 本願寺布教使真敷祐孝さんにご法話をいただきました。「迷惑をかけて生きる私」がテーマでした。「誰しもすすんで迷惑をかけようとしている人はいない」「老いたくなくても老い、病気になっていく」「年を重ねる中で、ふと不安になる。いつか誰かの手を借りなければ生きていけなくなるのではないか」。
 だんだんに自分事として頷き、やはり先々が心配になります。いえいえ、迷惑をかけたくないと思っている今すでに、十分に人に迷惑をかけていて大きなお陰さまに支えられていることを忘れるところでした。恥ずかし、恥ずかし。
真敷さんのお寺で、真夜中に梵鐘をならすいたずらが続いていると漏らされました。寺の鐘に癒やしを感じる人は多いと思いますが、今は心配の種になり、ゆっくり眠れない日が続いているそうです。この日も未明に鐘が鳴らされ飛び起きたと。これは迷惑行為で犯罪です。


長岡市花まつり募財(喜捨袋)御礼

257号 感話:弥陀の誓願不思議 5月5日に長岡市花まつりが開催されます。
今年は第100回記念大会で多くの皆さまから温かいご協力をいただきました。
喜捨袋総額:47,521円 と寺院協賛金として賽銭募金:65,922円 を加え長岡市仏教会にお届けできました。御礼申し上げます。

新潟日報に長岡市花まつりを紹介する記事を載せていただきました。


感話 弥陀の誓願不思議

不思議とはどういう意味でしょうか。み教えに学ぶ集いで明鏡寺ご住職がおっしゃいました:阿弥陀さまはどうしてどんな人も救いたいという願いを起こしたのでしょう。不思議です。いくら考えてもわかりません。仏さまの願いは私たちの考えを超えているのです。
 「救いたいという願い」に惹かれてNHK朝ドラの話題を紹介いたします。4月から始まった「風、薫る」は早くも毎朝の楽しみになっています。4月24日放送の中から引用しました。

 主人公のりんさん(見上愛)がいよいよ「ナース」を目指して女学校に入る決断をします。これまでお世話になった書店の支配人に自分の思いを伝え、借りて使っていた英語の辞書を引き続き貸して欲しいと申し出ます。立派な装丁の辞書です。それを支配人卯三郎(坂東彌十郎)は、りんさんに「差し上げます」というのです。そして「分かりやすかったでしょう」と話しかけました。

りん: ただ「ソサエティー」を引いても「社会」とあるだけで。 その「社会」の意味がいまひとつ・・・

卯三郎(支配人):りんさんはどういう意味だと思いますか?

りん:「そこにいる みんなのもの」のような・・・

卯三郎:「みんな」とは?

りん:徳川の世は 徳川様のものであって みんなのもんじゃない。 偉い人たちに決められて 私はそん中にいなくて・・・ だから 社会っていうふうには思えなくて 女は家にいて・・・・ 父のように 世間から一度外された人も もういない
 あ でも 社会って言葉には もっといろんな人がいるような気がして。・・・・・私のように 子持ちで 女で 働かせてもらっている人も・・・  あ シマケン(店の常連客)さんみたいに 何者か分かんない人も みーんなです。

卯三郎: みんな・・・   りんさんが来て この店も少し変わりました。 いる人で形づくられ、 いる人で変わっていくのかもしれません。

りん:いる人で社会が・・・・

卯三郎: ええ。 人は ワンハンドレッドパーセント死にます。医療は 今にビッグマーケットになります。10年後 100年後には 誰もがナースの看護を受ける。そういう社会がきているかも。


257号 感話:弥陀の誓願不思議  明治19年の出来事です。「社会」という日本語は「ソサエティー」を訳したものですが、その意味は当時の日本の文化では理解が追いつかないことでした。「ソサエティー」はりんには衝撃だったのかもしれません。考えてもみなかった社会があるのだと。「誰でもどんな人でも救いたい」と阿弥陀さまの起こされた誓いも親鸞聖人には衝撃だったに違いありません。弥陀の誓願不思議です。合掌


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