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139号 感話 花山信勝先生の宗林寺を訪ねて [ 平成28年7月8日 ]

前川小学校でオリエンテーリング 6月14日

イメージ:前川小学校でオリエンテーリング 6月14日  前川小学校校区内に定められた10ポイントの1つに託念寺も加えられていました。そこでのクイズは「このお寺の名前は何というの?」いい問題です。「前島のお寺」や「保育園のお寺」が通称で正式名称を口にすることはあまりありません。門柱に大きく書いてあるのにそれは当たり前の風景でそこに目を留めることはありません。むしろ他所から訪ねられた方がそれを頼りにしておられるのです。
 さて、子どもたちの反応はどんなだったでしょうか。「えっ、何という名前?」と首をかしげます。門柱に子どもたちを案内すると今度は「何と読むの?」「キネンジ?」「キかな?記念に似ているけれど違いますね。」・・・楽しい時間でした。もちろん知っている子もいて、ちょっと誇らしげでした。
 クイズを記したポイント板を鐘楼に吊してくださった学校の先生にも感謝でした。クイズの答えを確認した後、「大きなお鐘を撞こうか」と誘ってみると「したい」と。5人一組くらいで撞いてもらいました。子どもたちの笑顔が嬉しかったです。
 昨年の「前川のあゆみ」発刊を機に前川のことをもっと知ろうと今回のオリエンテーリングも企画されたともお聞きしています。4か村にある神社もすべてポイントに指定されています。神社にもそれぞれ名前があり、神社におかれている祠(ほこら)や鳥居、石碑には、この地域の苦労の歴史が凝縮されています。大事にしてきた歴史があります。この地の学校に育った子どもたちは、前川がふるさとになります。将来この地を離れても「ふるさと」は決して記憶から遠ざかりません。ふるさとの景色は最も深く刻み込まれる記憶なのです。だから私たちはこのふるさとを心のふるさとにもしないといけないと思います。「前川のあゆみ」によって「助け合う風土」が私の中でクローズアップされました。助け合うとはひとり一人を認め合うことから始まります。そんな地域になったらいいです。


ちょっと嬉しかったこと

長岡出身の大学生を対象とした「長岡育英寮」が東京都三鷹市にあります。米百俵の精神を受け継ぐ公益財団法人が運営していて私は評議員を務めています。先般評議員会があり終了後寮生と懇親会がもたれました。私の前に座った新入寮生M君が乾杯の後に私と同じように合掌をして「いただきます」をしてくれました。今年3月の選考面接の際には、前川保育園の卒園生だったM君がいて私に礼儀正しく挨拶をしてくれたことが嬉しかったのです。私のひと言挨拶の中でこのことに触れました。気持ちのいい青年に出会い仕合わせな気分になりました。


感話 花山信勝先生の宗林寺を訪ねて

イメージ:感話 花山信勝先生の宗林寺を訪ねて  今年の恵以真会研修旅行は、北陸新幹線が開業して1年あまり、観光客で賑わう金沢でした。その中心地に宗林寺様はありました。花山信勝先生のお孫さんにあたる現住職勝澄さんご夫妻が出迎えてくださいました。花山信勝先生は、昭和23年12月23日東条英機元首相はじめ7人のA級戦犯の死刑を見届けた教誨師(きょうかいし)として有名な方です。ご住職はこんなお話しをされました;A級戦犯7名の他に巣鴨拘置所(プリズン)で絞首刑になったB級、C級戦犯の多くは、捕虜収容所の関係者でした。罪状の中には「腐ったマメや草の根っこを食べさせた」というものもありました。納豆やゴボウのことです。日本の食文化を知らないアメリカ人にしてみればこんなことまでが不当な処遇だったのです。戦争裁判は、戦争に勝った国が負けた国を裁くのですから、反論が聞き届けられるはずもなかったことでしょう。
 私にとっての花山先生は、福原勲さんと妻美志子さんにつながるご縁です。福原勲さんは終戦のとき大牟田捕虜収容所の所長をされていました。昭和20年12月5日に進駐軍に連行され、裁判にかけられます。そして翌21年2月28日には絞首刑が宣告されるのです。花山先生との出会いは3月9日でした。花山先生が教誨師としてはじめて面談した死刑囚が福原勲さんでした。いつ死刑執行の知らせが届けられるか分からない中でお正信偈、歎異抄、ご和讃と向き合う生活が始まりました。


イメージ:  5月のある日、島根から上京したお父上と2歳の長女周子ちゃんへの面会が許されました。妻美志子さんも東京まで来ているのに拘置所の規定で2人しか面会できませんでした。勲さんは美志子さんがお父上に面会を譲ってくれたことを感謝しつつも、自分に会えずに帰らなければならない妻が不憫に思えてならず、無理を承知で監視兵に「花山先生にお会いできるように」と頼みます。その願いが聞き届けられ花山先生とその日のうちに会えることになりました。妻への思いの一切を話し、面会実現のお礼を述べて安堵したのでした。奇跡が起きたのは翌日のことでした。勲さんは今ごろ島根への家路についているだろう美志子さんと周子ちゃんを思い、いつまでもいつまでもその姿を瞼に彷彿させていました。それが、「何という喜ばしいことであろう」、その妻子が目の前に現れてくれたのです。何という気遣いでしょうか。「獄中において今日のような有り難い縁を恵まれた事はない」と記しています。
 このたびの訪問でご住職は「おじいさまは福原勲さんのことを『生き仏さん』と呼んでいました」とおっしゃいました。そんな福原さんだったからこそ、人のこころを揺り動かし実現した出来事だったのです。
 そしてついにその日がやってきました。8月8日、花山先生と「正信偈」をおつとめして最後の眠りにつかれます。「美志子へ どうか広い世界に生きるんだぞ。お念仏の世界は果てがない、恐ろしい事がない。念仏を取り落とすなよ」 光寿無量院釋勝勲 8月9日午前5時2分 30歳  合掌
参考文献:「亡びざる生命」花山信勝著 百華苑刊


写真は、福原美志子さんが平成2年に託念寺来訪されたときのものです。


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