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249号 感話 子どもたちが見た戦争の記憶 [ 令和7年9月1日 ]

稲刈りがはじまりました

249号 感話 子どもたちが見た戦争の記憶  前島神明社の秋祭りが先般ありました。小学校の子どもたちがお祭り太鼓を披露してくれました。練習の成果が発揮されて拍手をもらっていました。コロナ禍前までは、おみこしが町内の全戸を「わっしょいわっしょい」のかけ声とともに回っていきました。班ごとに休憩場所を設けて、水分補給したりビールが振る舞われて、すごい熱気を感じていました。今年のような猛暑なら、熱中症アラートがでて、中止を余儀なくされていたでしょう。野菜の収穫、お米の収量や品質に影響が出ないか心配になります。
 9月1日も最高気温は36℃と報じています。


境内草取りの御礼

249号 感話 子どもたちが見た戦争の記憶  朝6時前、まだ少しだけ涼しさを感じていましたが、動き出せばすぐに汗が噴き出てきます。持ち場持ち場で作業が進み、盆参前の境内をきれいにしていただきました。途中はち刺されの恐怖がありました。以前にもあったことです。大事には至らずにホッといたしましたが、申し訳ないことでありました。


盆参、暁天法座、盆踊り大会の御礼

249号 感話 子どもたちが見た戦争の記憶  多くの方々にお参りいただき、久しぶりにお目にかかった人もありました。改めてご先祖あっての今であり、このいのちであると振り返ることができました。戦後80年の長岡まつり、大花火大会を楽しまれた方も多かったと思います。私も8月3日のチケットが入りはじめて椅子席で観覧しました。風向きも私たちの席には好都合で、猛暑続きだったのに、花火が始まる頃は心地よい風に恵まれました。


感話 子どもたちが見た戦争の記憶

249号 感話 子どもたちが見た戦争の記憶 暁天法座で絵本「いま、日本は戦争をしている 作・絵:堀川理万子小峰書店発行」を坊守と朗読させていただきました。今年6月に出版されたばかりです。戦後80年ということは戦争を体験した方々がご高齢になっていることを意味しています。戦争を語り継ぐことが難しくなっていますが、作者の堀川さんは実際に戦地にいかれた方ではなく、少年少女時代に戦争を経験した方々にお話しを聞き取り、それを絵本としてまとめられました。子どもたちが目にし、感じた戦争の姿です。


 高木達夫さんは13歳のとき樺太で終戦を迎えました。樺太では8月15日が終戦ではありませんでした。天皇陛下のラジオ放送で日本が負けたことが知らされたのに、その1週間後ソ連軍の空襲が始まりました。
 「戦争は終わったんじゃないのか?なんで襲うんだ?」
「大きなトラックが家の前に停まった。ソ連の家族が引っ越してきたんだ。3つある部屋の中で、一番広い部屋をあけわたすことになった。どうしてかって?戦争に負け、ぼくたちの住む樺太はソ連のものになったからだ。おばあさんが必死に交渉して、半分をソ連人家族に住まわせて、自分たちも一緒に同じ屋根の下で暮らすことになった。・・・・・」
そんな生活は想像できますか。
 ソ連人によっていつ自分たちが殺されるか分からない。現に目の前でそれがおこりました。当時樺太ではニシンがたくさん獲れました。地元の漁師がソ連人のためにニシン漁に動員されていました。
 「海が荒れたある日、漁の船をだすださないで船長とソ連兵が言い合いになった。嵐の漁は危険だと一歩も引かない船長に、パンッと音がした。それまでソ連人に協力してニシン漁をしていた船長が、嵐の中では漁はできないと言っただけで殺されてしまった。いうこと聞かないと、やつらは殺すんだ。なんてひどいことをするんだろう。ぼくは、このことを一生わすれないと思う。」
 それでも高木さんの物語にはすくいがありました。
 「台所はひとつだから、お母さん同士が代わるがわる使ううちに、2つの家族は、じょじょに仲良くなっていった。こうなると、敵とか思わないから不思議だ。ロシア料理のピロシキは格別だ。ぼくらはその家族に呼ばれてピロシキをごちそうになる。・・・このくらしは、1年後、日本に引き揚げるまで続いた。」
 人の温かさ、優しさに触れた高木さんは戦争を憎んでも、ロシア人を憎んではいないかもしれません。
作者の堀川さんはあとがきにこんな風に書いておられます;
過酷な状況でもとにかくなんとか生きること、耐えきれないことも歯を食いしばって受け入れざるをえなかったこと、どんなひどいときでも楽しみが見つかるかもしれないこと、そして、戦争が子どもの命、人の命をあまりにも軽々しく扱うことへのいきどおり、無力感、そんなことをしんから感じました。
 仏教では「いきものを殺してはいけない」と説きます。そうはいっても蚊は例外、ゴキブリも例外。魚は、豚も牛も人が生きるためには例外。ところが戦争になれば、人も敵国ならば例外。そしてお国のためなら自国の「かけがえのないいのち」も例外となります。それが日本でも起こった戦争の実相でした。
 「ひとりひとりが幸せにいきるために国家はあるはずなのに、国家のために、ひとりひとりの命が利用されたというのが80年前の戦争だった(大島隆之著『一億特攻への道』文藝春秋社2025)。」合掌


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