251号 感話 ツルウメモドキ [ 令和7年11月7日 ]
秋 駆け足
秋はくだもの。柿や栗、りんごもミカンもぶどうも美味しいです。いいえ、くだものだけではありません。お米、落花生、サツマイモ、長芋に秋の味覚を感じます。
暖房を使い始めました。学生の頃、初めて過ごした仙台で10月からストーブをつけるのを目にして「早(はつや)」と思いました。温暖化で夏が暑かった分、秋の進み方が急だと感じます。それでも今の時期はすぐに部屋が暖まるので嬉しいです。
長寿のお祝い
えっ誰に?と聞き返して坊守が受け取りました。もちろん私宛です。長岡市長、宮内コミュニティー推進委員会からでした。「ご長寿を心からお祝い申しあげます。」 お祝いの品とともにメッセージが添えられていました。「ご長寿」かと苦笑いしながら、次第に自然にこれを受け止められるようになりますね。きっと。そして何より、ここまで元気で過ごせているのは「当たり前ではない」と喜ばせていただいています。
不自由でも最後まで柔道家 山下泰裕さん (朝日新聞 令和7年10月17日朝刊より一部抜粋)
お寺ヨガでは、インストラクターの小林笛子先生が素敵なお話をしてくださるのも楽しみです。今月のお話は大きなケガを乗り超えて復帰を宣言された山下泰裕さんからのエールでした;
山下泰裕さんといえば誰もが知っている世界の柔道家です。現役を退いてからもJOC会長などを永年務め活躍されていましたが、2年前に家族で出かけた温泉でヒートショック状態になって露天風呂のへりで倒れ頭部を打って、気付いたときには四肢が動かせなくなっていました。事故直後は「これでプレッシャーから解放されると思った」と当時の心身の辛さも振り返っておられます。
2年間のリハビリに励み、今年9月にようやく退院されました;
一人では鼻もかめない。もどかしく見えるが、「それが面白いな、と思う」。支えは柔道家としての生き様だという。「柔道の『道』は、畳の上で学んだことを日常生活や人生で発揮していくこと。いま、真の柔道家かどうかが試されていると思う。どれだけ(競技が)強いか、ではない。私は人生の最後まで柔道家でありたい。山下さんが「冬眠から、熊本のくまモンが目を覚ましました」とユーモアたっぷりに笑った。
感話 ツルウメモドキ
私たちの住む世界を娑婆(しやば)といったり此岸(しがん)といいます。仏さまの世界は浄土といったり彼岸といいます。この世、あの世が一番分かり易いでしょうか。この世の価値観は、有用性や利便性、高い技術力などですごい経済価値が生まれれば、とんでもない金額で評価します。人に対しても同様です。それに対して仏さまの世界は、存在していることがそれだけで「尊い」とみます。代わりのきかないもの一つ一つに比較をもちださず、ものさしも不要の価値感です。
今年もツルウメモドキをいただきお御堂に飾らせていただいています。大乗10月号の生け花はツルウメモドキでした。「枝の曲がりや実の付き方には、そのままの自然の美しさがあるのよ。そこにあなたの美しいと考える姿形を少しだけ手を加えて整えなさい」。「華遇記」を連載されている藤井真さんが、お師匠さんに言われ、「強引に形を整えるのではなく、枝が語る流れを見つめ、その声に耳を澄ますことが大切なのだと気付いた瞬間でした。
時を同じくして娘が孫の動画を送ってくれました。そこにはバスケットボールの試合に出て躍動している様子が映し出されていました。わずか一年前には身長がするっと伸びていましたが、どこか元気がなく、やることと言えばスマホでゲームをしていた姿がありました。なかなか学校に行けず、遠く離れて何もできない私たちにとってはただ気がかりでもどかしい気持ちになっていました。変化の兆しは今年の夏休み、娘家族と過ごした温泉旅行でした。近くの高原へゴンドラで登り、孫と山道をふたりで歩いていました。きれいな景色を見ながら孫の方から、4月から行っている学校の様子を語ってくれるのです。それも嬉しそうに。そうなれば私も気持ちが楽になります。「お前さんが学校に行けないでいるとき、お母さんがいつもお前さんのことを心配してくれていたんだってね。お母さんはもっと厳しく言うと思っていたのに、お母さんもすごいね。」そんな会話ができました。一泊二日の短い時間ではありましたが、随所で笑顔が見えて、別れるときには「今回の旅行はすごく楽しかったよ」と自然体でした。一緒にいたしっかり者の妹が「お母さんが絶対必要なんだよね」と姉のような顔をして評論を加えました。
子どもたちは日々成長しています。私たちができることはどれほどでもありません。ツルウメモドキの曲がりくねった枝をお御堂で飾るときの思いと重ね合わせました。合掌








