260号 感話:場の持つ力: 深水顕真 大乗法話7月号より [ 令和8年8月7日 ]
届けられた良寛さまの詩句
つきてみよ 一二三四五六七八九の十 十とおさめてまた始まるを
手まりをついてごらんなさい。十で終わってもまた一から始まります。仏の道も限りないものですよ。
「ひ・ふ・み・よ・いつ・む・なな・や・ここのつ・とう」。こどもと遊ぶ良寛さまの姿が思い浮かぶようです。つい先日104歳で亡くなられた町内の方(お名前を二三さんとおっしゃいます)が、20年前に私に届けてくださった良寛さまの詩三十枚の中にあったものです。それぞれが習字紙にていねいに書かれていました。お名前がこの詩に重なっていることもありますが、何故か惹かれました。幼少期に亡くされたお子さまを思い出しながら書写されたものかなと思いました。
「さわやか講話会」聴聞記
7月5日 専徳寺本堂 演奏とお話:新潟楽風会
長岡市花まつりでも新潟別院お取越報恩講でも必須の雅楽ですが、雅楽演奏会は初めてでした。まず楽器の名前が分かりません。演奏者の自己紹介とともに楽器の紹介。形、音色、雅楽での役割をご説明いただきました。ひとつひとつの楽器に力を感じました。そして演奏が始まると独特の雅(みやび)の世界に引きこまれていきます。6名の演奏者が皆元上組、与板組のお坊さんで日ごろからお世話になっている方ばかり。普段は雅楽のお姿を目にしていなかったので、余計に驚きと、お坊さんの深みを感じることができました。お坊さん、すごい! 100人を超え満堂の本堂に余韻がいつまでも残っていました。
日曜法座研修: いがみ合う関係が拝み合う関係に転じる不思議
清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり 清浄薫を礼すべし
7月12日の日曜法座は新潟組圓満寺の川井善信さんにご法話をいただきました。浄土和讃からの御讃題(さんだい)でした。川井さんは新潟教務所で法務員としてもお仕事をされており、私は保育連盟事務局担当としてお世話になってきました。さわやか講話会で雅楽の世界に魅了されたばかりでしたので、連続研修のようなお話をいただけて嬉しかったです。阿弥陀経にお浄土の様子が描かれています。本堂お内陣の荘厳はまさに極楽浄土の風光を私たちに届けるようにできあがっています。中央に阿弥陀さまがお立ちになって今もご説法をなさっています(今現在説法)。種々の宝石で輝く林を清らかな風がそよぐとき、高さの異なった五つの音階が流れ出て、共鳴するはずのない不協和音でさえ、自然に響きあって妙なる和音を奏でます。また清らかな香りも運んできます。
今まで視覚的にイメージすることが多かったお浄土に香りと音の世界が加わる思いが致しました。お香を焚く意味もここに由来しているのかと。
宮(きゆう)と商(しよう)は東洋音楽の音階を表し、西洋音楽のドとレに相当します。この隣り合う二音は本来は共鳴しない不協和音であるのに、お浄土の世界ではそれらが調和して快い音色を奏でるというのです。川井さんは身近に起こる事柄を引き合いに出して、自らの身勝手さから生じた憎しみの感情が、ご往生を機に拝み合う関係に転じていく様(さま)をお話しくださいました。身の回り、そして世界中を見渡せば不協和音があちらこちらから絶えず聞こえてきます。自分が正しくて相手が間違っていると互いに執着すれば、いつまでも争いも憎しみもなくなりません。私たちは争うために生まれてきたのでしょうか。憎しみ合う者同士が自(おの)ずと融和していく世界が「宮商(きゆうしよう)和して自然(じねん)なり」と説かれるお浄土です。ならばお浄土に学ぶ生き方を取り戻さないと取り返しがつかなくなります。お浄土は、手の届かない遠いところにある世界ではないはずですから。学仏大悲心。阿弥陀さまの大悲の心に学ぶのは、「今、ここ」です。
感話 場の持つ力: 深水顕真 大乗法話7月号より 抜粋引用
本堂にお参りすると、心地よい緊張感を感じることができます。特に朝のおつとめの時の澄みきった空気感は格別です。本堂へつながる渡り廊下で感じるお香の匂い、朝日で輝く内陣の金箔、それらは私の五感を通して阿弥陀さまのはたらきを感じさせてくれます。
ここで今一度、私たちはなぜ本堂にお参りするのか考えてみましょう。本堂の持つ重要な役割の一つが聞法の道場であることです。しかし単なる「学びの場」であるなら、もっと無機質な会議室の方がよいのかもしれません。それに対して本堂は金箔や彫刻、壁画に彩られ、対極の存在です。
いつも法座にお参りされる90歳の女性のお話です;「お陰さまでお寺の近くに住んでおりますので、この歳でもこうやって法座に参ることができます。耳はずいぶん遠くなりましたので、ご講師が何をおっしゃっているかよく分かりません。耳での聴聞はできていません。ただここに座らせてもらうと毛穴の聴聞はまだできると思ってお参りしております。」
デジタル技術の発達により誰もがスマホのような機材だけで法話を記録し、遠隔地に届けることもできます。でも大切な要素が欠けています。それは、本堂の持つ場の力です。本堂にお参りすると阿弥陀仏の願いを伝えようとした多くの先人の思いを全身に感じるからです。皆さんも本堂にお参りください。本堂という場の力によって、わが身が阿弥陀仏の願いの中にあることをまざまざと知らされるでしょう。合掌








