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241号 感話:人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから [ 令和7年1月7日 ]

令和7年元旦

241号 感話:人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから 謹賀新年
令和7年 元旦
託念寺住職 鷲尾純一
坊守   吉子


能登半島地震、羽田空港航空機衝突事故から始まった令和6年でした。期待をはるかに超えた大谷翔平選手の活躍もありましたが、予期せぬ災害、事故、事件がいくつもありました。お正月をお祝い気分では迎えられない方もおられるかもしれません。それでも気持ちを新たにして前を向いて一年をスタートさせたいですね。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。


御礼2つ -「フードバンクながおか協力事業」 「能登半島地震災害義援金」-

241号 感話:人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから 能登半島地震災害義援金(4)の 報告と御礼
募金額:61,820円(12月15日)
本堂のお賽銭箱に寄せられた義援金を
本願寺派たすけあい募金としてお届けいたしました。
ご協力ありがとうございました。
令和6年累計:231,941円となりました。

「フードバンクながおか協力事業」
てらだより11月号で呼びかけすることを忘れて周知が不十分でありましたが、お米、各種野菜、乾麺、カップ麺、缶詰、レトルト食品、調味料、お菓子等々、たくさんご協力いただきました。乗用車いっぱいに積み込んでフードバンクながおかにお届けいたしました。大変喜んでいただけました。



241号 感話:人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから  能登半島地震災害義援金は4回に分けて本願寺派たすけあい募金に届けさせていただきました。
 12月21日(土)に放映されたNHK新プロジェクトX 「能登輪島 炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~」は、中越地震、中越沖地震のことも思い出しながら見ていました。番組で、地震と豪雨災害で大きな被害を受けられた方の言葉が印象的でした;多くのボランティアに助けられました。地震から立ち直りかけたところでの豪雨災害はものすごく切なかったけれど、これほど「ありがとう」と言ったことはこれまでの人生でなかったことです。(災害に)やられたら やり返す。そんなパワーをもらいましたよ。
 日本のような自然災害の多いところで暮らしていれば、誰もがどこかで経験しています。私たちの地域でこれまでの歩みを振り返ってみれば、災害が起きるたびに、助け合い、支え合ってそれを乗り越えてきました。それが人と人のきずなを深め、人とかかわることの温もりや喜びを生んできたように思います。


感話:人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから

 心という容れ物は、未来への希望、過去への思い出があって、やっと満ちてくる。老齢になると未来への期待で満たすことは難しくなる。現在だけだと隙間が多くなり虚しくなる。だからこそ、過去の時間に共感してくれる人は有り難い。
「心に響くことば」12月のことば(藤丸智雄)より

人とのつながりはありがたいです。暮れに60年ぶりの来訪者がありました。ご両親の法要に来られなかったからと。共通の知り合いの消息を語りあい、60年前にタイムスリップして懐かしみ、瞬く間に現実に戻り、帰って行かれました。時間は短かったけれど、たくさんの余韻を残してくれました。
 その少し前のことでした。東京に出かけ、大学時代の同級生4人で10年ぶりの旧交を温めました。話は弾み、一緒に過ごした50年前を振り返ったり、ここでも共通の友だちの消息を確認したり、あっという間のランチタイムでしたが、満たされた時間でした。


お浄土へ生まれ仏となったものは、残されたものの人生を伴走してくれる仏さまとなる。
「人生は素晴らしい あなたがそばにいてくれるから」は仏縁を頂戴した私にとっては「人生は素晴らしい あなたが仏さまとなって そばにいてくれるから」と聞こえてくる。「心に響くことば」12月のことば(藤丸智雄)より

 そして、80年前の父に想いを寄せる出来事に出遇いました。
 日本は先の大戦で敗戦濃厚の戦況にあって、数千人もの特攻隊員のいのちを奪ってしまいました。その一人ひとりの家族を訪ねて制作されたNHKスペシャル「“一億特攻”への道 〜隊員4000人 生と死の記録〜」を、てらだより237号(9月号)で紹介しました。その制作担当者(Oさん)が訪ねて来られました。取材の対象は我が家を本籍地にしていた父の従兄弟侃(あきら)さんでした。侃さんは父と1歳違いで、昭和18年9月、共に航空予備学生として入隊し、零戦の飛行訓練を受けていました。今回の取材で侃さんとともに父のことにも関心を寄せてくださって、私が父から一度も聞くことのなかった硫黄島での任務と、侃さんと運命を違えた奇跡的な生還の背景を明らかにしてくださいました。
 ちょうど80年前の昭和19年12月父は硫黄島から本土に帰還しました。肋膜炎(結核?)を患っていたことが理由だったようです。その2ヶ月後に始まった米軍の総攻撃と日本兵2万人の玉砕を振り返れば奇跡的なことでした。父は戦後中学校の教壇に立っていましたが、零戦に乗っていたことをカッコよく、いつも自慢げに語っていたようです。
 ところが今回の取材で、父が実務として零戦に乗ったことはなく、「飛行要務士」の任務にあったことが分かりました。航空隊の事務を司る仕事です。それも父の場合は途中まで操縦・偵察の訓練を受けていて、何かの理由で途中で要務士に変更になった一人でした。Oさんによれば、その頃から肺の調子が良くなかったのかもしれません。父が硫黄島を引き揚げる時はもはや現地には飛行機もなく要務士として残る意味を見いだせずにいたのではないかとも推察されました。その後昭和20年4月、侃さんは特攻隊として戦死しました。父は零戦の飛行士に憧れていたのです。飛行要務士に任務替えを命じられた時どれほど無念で失意を覚え、侃さんを羨ましく思ったことだろうか。それなのに、今私がいのちをいただいてここにいます。仏になった父が「不可思議とはすなわち是(これ)なり」と微笑んでいるようです。合掌


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