240号 感話 「わたくしたちは お話をよくききます」 議論と対話の違い [ 令和6年12月3日 ]
師走 この季節らしいくもりと雨マーク
急速に冬に近づいていると感じます。猛暑でいつまでも暑さが残っていたにもかかわらず、今冬は大雪になるかもしれないと予報されています。外れて欲しいなと思います。境内冬囲いが皆さんのご協力で無事に終えることができました。ありがとうございました。
240号は1つの目標でした。住職20年の到達でもあります。次は300号でしょうか。あと5年です。今年正月に「5年日記」を孫からプレゼントされ、やっと一年目の終わりが見えてきました。1ページごとに日付が書いてあり、5段になっています。来年からは、去年の今日はこんなことをしたんだ。こんなことがあったんだと振り返ることができます。一日一日は長いけれど、一生を振り返ると「あっという間」が人生だそうですが、そのように思えます。何はともあれ、多くの方々のお陰であることを心より御礼申し上げます。
有縁講赤倉ホテル・安塚専敬寺様参拝
11月9日、10日の二日間よい天気に恵まれました。元上組9ヵ寺から72名のご参加がありました。11月上旬の土日は行楽シーズンで観光バスの確保が難しいのだそうです。また、この人数で一斉に昼食をとれる場所も限られます。7月下旬にそのようにせかされました。なるほど!いい季節でした。
専敬寺様には以前恵以真会研修旅行で行ったことがありましたが、今回は感動新たなご縁をいただきました。安塚小黒の念仏道場専敬寺として知られています。明治20年に建てられた大きな本堂です。欅の大柱と梁、欄間には数々の彫刻が施されています。外陣の畳はヘリがありません。これは「道場」であることを意味しています。念仏の道場です。これほど大きなお寺が雪の多い山間地に建っていることが不思議に思えてきます。御老院様に優しく出迎えていただき、今につながるお寺の由緒や親鸞様、恵信尼様のご息女「小黒の女房」との関わりなどお話をいただきました。
私の手元に昭和55年に出版された「恵信尼公の生涯:大谷嬉子著 主婦の友社刊」があります。右の写真は前々ご門主(大谷光照様)のお裏方大谷嬉子様が託念寺をご訪問くださったときの写真です(昭和56年9月17日 前住職と母は緊張の面持ちで前お裏方様をお迎えしています)。昭和56年ですからこのご著書出版の直後になります。このご本の中に専敬寺様をお訪ねになったときのことが温かな表現で記されています:「この寺が、直接小黒の女房と結びついているわけではない。しかし彼女が、この地で結婚生活を送り、幼い子供を残して、若くして世を去ったことは間違いない。この寺院が、いつから小黒の女房ゆかりの地として、名のりをあげているのか知らないが、親鸞聖人とかかわりある、浄土真宗の寺院なのだから、最も適したところであろう。小黒の女房、そして恵信尼公とのゆかりを大切にして、それを後世に伝えて欲しいと思った。」 そして短歌が添えられています:
遠つ世を 生きしゆかりの 人を思ふ 小黒の里の 春のおそきに
感話 「わたくしたちは お話をよくききます」 議論と対話の違い
今年を振り返るときになりました。もうじき流行語大賞も発表されますね。きっと「はて?」が上位にノミネートされますね。もう一つ、「フェイクニュース」もあがるかもしれません。
こんなニュースを聞きました:今年は酷暑と言われるような暑い夏でした。「サマー」とは英語で夏のことです。昔夏のことを「サム」と呼んでいたんだそうです。太陽を意味する「サン」に由来する言葉だったようです。それが次第に温暖化が進み900年前に「サム」の比較級「サマー」になりました。そして今年ついに地球温暖化への警告も込めて最上級の「サメスト」に変更されることに決定されたそうです。来年の夏からそのように呼ばれるようになるのだそうです。「なるほど、これは面白い」と感心したのもつかの間、パロディーニュース(虚構新聞)とのこと(朝日新聞天声人語2012.11.23より趣意引用)。つい信じ込みそうになるところが面白いです。朝ドラの寅(とも)子さんだったらすぐに「はて?」といったかもしれません。これは遊び心で楽しいですが、SNSで拡散される情報はなかなかホントのことが分からなくなっています。重要なものごとを決定する場面で「事実」が見えなくなっているのは怖いことであり、今後のことを思えばとても心配になります。
今年振り返って私にとって、大きな出来事がありました。親しくさせていただいた方の悲報です。いずれも50代でした。そのお一人が9月に急逝された加藤泰和(たいわ)さんです。北海道別海町で寺の住職とこども園の園長を務めておられました。私は本願寺派保育連盟で「まことの保育」推進に向けて一緒に仕事をしてきました。加藤さんの遺稿ともいうべき保育資料(保育連盟機関誌)11月号「まことの保育の願い」に「議論と対話の違い」が記されています。
「議論」は自分や相手の意見をぶつけ合って、何が正しいのか「正解」を探していくものです。
それに対して「対話」は、それぞれが考えていることを持ち寄り、それを聴き合い、一緒に考えていくことです。その過程で、自分が正解だと思っていたことについて考えが変わったり、新たな気づきを得たりすることで、自分の世界を広げていけるのです。
「話し合う」「聴き合う」「協力し合う」が対話の大切なところだと示してくださっています。
私たち人間はどんな人も不完全であることが前提です。正しい見方や判断ができないために苦しみや悩みが大きくなっていきます。そもそも現代は何が正解かが分からない時代になっています。み教えに耳を傾け、お互いに敬いの心で聴き合う対話を大切にしていきたいと思いました。合掌