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237号 感話:戦争の歴史 [ 令和6年9月2日 ]

台風10号は迷走して被害が広がりました

 暑い日が続いていましたが、このお便りが届けられる頃から天気予報に雨マークが並んでいます。台風被害が出ないといいです。もうじき稲刈りが始まりますが、お米の品質は今年は期待できるようです。このまま順調にいって欲しいと思います。
 8月は盆参に始まり、特別な行事がいくつかありました。たくさんの方々にご参拝頂きありがとうございました。長岡にとって8月は特別です。古くから市内の寺院では1日は宗派を問わず盆参があり、家族で寺参りをしてきました。昭和20年はその夜に長岡が空襲されました。中心市街地に4千発を超える集束焼夷弾が投下され、およそ8割の家屋が焼失し、1,488名もの尊いいのちが失われました。木炭俵にして34俵もの身元不明の遺骨が埋葬された昌福寺(四郎丸)では戦災殉難者之墓が建立され、昭和24年より8月1日に長岡仏教会による追悼法要が行われてきています。私は今年初めて導師を務めさせていただきました。長岡祭りは2日、3日の大花火大会が全国的に有名になっていますが、1日朝から勤められる戦災殉難者追悼法要からが長岡祭りの始まりです。そのことを改めて強く感じたことでありました。


恵以真会主催「暁天法座」の御礼

237号 感話:戦争の歴史  昭和60年から始まった暁天法座は今年で40年目となりました。
 第1日は、平澤一秀さん(前島町)より一昨年秋に永年にわたる消防団活動の功績を讃えて贈られた瑞宝単光章について、振り返って思うことを語っていただきました。中越地震のときの苦労話は私たちに共通してよみがえってきましたが、災害時の役割の大きさを改めて認識しました。当日は勲章賞状の額縁を披露してくださいました。ちなみに天皇陛下によっておされた「大日本国璽」の大きな国印(これを璽という)は3kgの純金製だそうです。


237号 感話:戦争の歴史  2日目は石上広幸さん(片貝町)によるインド紀行(その2)でした。七高僧第一の龍樹(りゆうじゆ)菩薩の遺跡を発掘し、インドにおける仏教改宗運動に身を投じて尽力されている日本人僧侶佐々井秀嶺(しゆうれい)さんを訪問された様子など動画を中心に紹介してくださいました。カースト制度による差別は憲法で禁止されていますが、未だに根深く、仏教改宗運動は差別への闘いでもあります。その最高指導者である佐々井上人との面会もその感動が伝わってきました。


盆踊り大会

237号 感話:戦争の歴史 天気予報を恨んでも仕方のないことですが、降らないという予報を信じて準備。なのに雲行きが怪しくなり、開始時間に合わせるように雨が降り出しました。急きょ太鼓を避難させ、お御堂を開放して待機してもらいました。それでもキッチンカーへの行列は続きました。恵以真会役員の臨機応変の運営は見事でした。太鼓が夏のお祭りを盛り上げ、子ども盆踊りも、長岡甚句の盆踊りも、楽しみにしてもらっていた打ち上げ花火もすべて実施することができました。参加者から「来場者を喜ばせようと一生懸命な役員さんたちの姿に感動しました」と感想をもらいました。ハラハラ、ドキドキ、ワクワクは子どもの心にも思い出となったことでしょう。キッチンカーの皆さんにも大いに感謝でした。


義援金・募金の報告と御礼

 能登半島地震災害義援金(3)の 報告と御礼
募金額:64,376円(8月23日)
本堂のお賽銭箱に寄せられた義援金を
本願寺派たすけあい募金としてお届けいたしました。
ご協力ありがとうございました。
累計で170,121円となりました。

子どもの笑顔のために募金
募金額:17,673円(8月23日)
お賽銭箱の横の可愛らしい募金箱に
たくさんのお心を寄せていただきました。
本願寺にお届けいたしました。
ありがとうございました。


感話:戦争の歴史

 小学校の頃から歴史が好きでした。明治時代に日本は富国強兵を掲げ、日清戦争、日露戦争に勝利して領土を拡大しました。私の習った教科書には、「世界へ躍進する日本」のように描かれ、戦争を起こした愚かさには触れられていなかったと思います。それどころか日本が大国ロシアを破ったことは輝ける日本史の一場面のように描かれていました。しかし現実はその連続線上に日中戦争を起こし、太平洋戦争では泥沼化していっても無条件降伏になるまで戦争をやめませんでした。
 8月17日NHKスペシャル「“一億特攻”への道 〜隊員4000人 生と死の記録〜」は衝撃的な内容でした。特攻による戦死者のデータをまとめたものが日本地図で示されました。調査された戦死者がアイコンで表示され、クリックすると、特攻隊員の年齢、階級、出身母体、戦死した場所と日時などが表示されます。日本全国に広がり「学徒」の年齢層が多く、そのほとんどが前途を期待された若者だったことがわかります。さらに原子爆弾が投下されたあとも終戦宣言の直前まで続けられていたのです。どんな大義や希望を抱かせられていたのか、人のいのちをどんなふうに見ていたのか。今日の私たちからは想像もできない愚行であったと愕然とします。この戦争でこころの底から戦争そのものの愚かさを学んだはずです。これからも学び続けなければなりません。
 大乗8月号には、昭和63年8月号のお盆特集がアーカイブ(再掲載)されていました。長崎で原爆投下を目撃し、高等学校に入学したばかりの筆者が原爆で被災した死体の処理に駆り出されたことなどが語られていました。その最後にハッとさせられる言葉が綴られていました:私は長いあいだ、今度の戦争の主たる敵国はアメリカだと思い込んでいました。でも戦争は15年も前に中国大陸で始まっていました。中国の人びとは家を焼かれ食物を奪われ肉親を殺され続けたのです。日本と中国との戦争は徹底的に日本の侵略戦争だったのです。中国機による空襲は一度もなかったのです。私は長崎の焦土で黒こげになった死体の中から我が子をさがしまわっていた母親の姿が忘れられませんが、それ以上のことが中国で続けられていたことを自分に言い聞かせています。(円日(まどか)成道(じようどう) 本願寺新報1998年8月1日号)


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