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226号 感話:親鸞聖人の一生 [ 令和5年10月4日 ]

白い萩と中秋の満月

226号 感話:親鸞聖人の一生  お彼岸の声を聞いて秋が目を覚ましたのでしょうか。やっと夜は布団をしっかり掛け、朝は少し肌寒さを感じる頃となりました。庭に白い萩の花を見つけました。もうじき中秋の満月です。
 9月を振り返ると、大谷が今シーズンを終えました。無理をして欲しくなかったのでホッとしています。それでも日本人初のホームラン王になれそうです。「すごい!」NHK連ドラ「らんまん」が最終回を迎えます。楽しませてもらった分「らんまんロス」になりそうです。脚本を担当した長田育恵さんが新聞に紹介されていました。幼い頃は身体が弱く不登校の時期もあった彼女は、槙野万太郎と自分をダブらせていたのかなと思いました。脚本担当が決まった5日後に亡くなった母は、いつでも自分の未来を信じてくれていましたと。どんな偉人も支える人があって、共に喜び、悲しむ人がいて、あの十徳長屋(じつとくながや)が好きでした。


秋彼岸会家族礼拝

226号 感話:親鸞聖人の一生 「やってみましょうお寺ヨガ」にご参加いただきありがとうございました。小林笛子さんの「合掌」のお話を受けて、最後は「合掌のポーズと笑顔」で写真に収まりました。大いなる神と小さな私をしっかり合わせて、「合掌」です。梵鐘の撞きおさめもしました。


令和5年度第3回日曜法座研修会

226号 感話:親鸞聖人の一生  雲林重正さん(与板組浄秀寺住職)にご法話いただきました。
「枕経は正しくは臨終勤行といい、亡くなってからではなく『棺桶に片足を突っ込んだところ』でお勤めするもの。棺桶に片足突っ込んだといいながら何十年も生きる人もいますが」と笑いに包まれ、お通夜、葬儀とつながる葬送儀礼について、お話いただきました。清めの塩、清めの水につながる日本故事伝説や、死に装束(しようぞく)にまつわる謂れは、浄土真宗にはなじまないものですが、その理由をわかりやすく説明してくださり、頷くことができました。
 近年、葬儀のありようが急激に変化して、マスコミでも取り上げられることが増えています。雲林さんが御自坊でお使いになっているリーフレット(「通夜のこころ」「葬儀のこころ」)をご持参くださり、どうして葬儀をするのか、その意義やその作法の意味も解説いただきました。
 私自身が葬儀を勤める上でも大いに参考にさせていただきました。また、日曜法座ではあまり触れてこなかった内容でしたので、ご聴聞された皆様にとっても貴重な機会になったと思います。


感話:親鸞聖人の一生  新刊書紹介:「親鸞聖人の一生」 今井雅晴著

226号 感話:親鸞聖人の一生  親鸞聖人が浄土真宗を開かれて来年は800年になります。今春から本願寺では御誕生850年とあわせて慶讃法要が営まれました。教行信証を完成されたのは親鸞さまの関東時代でした。それもあるのでしょう、立教開宗800年の年に東京築地本願寺で法要が勤修されます。それを記念して今井雅晴先生著「親鸞聖人の一生」が築地本願寺から発刊されました。そしてこのたび先生から贈っていただきました。
 今井先生は親鸞さまの歴史研究の第一人者として、これまで多くの新しい知見を発表され、その研究は今も進行中です。親鸞さまはご自身のプライベートに関することはご書物やお手紙にもほとんど書き遺しておられません。恵信尼さまといつどこでご結婚されたのか、どうして御流罪地が越後であったのか、赦免(しやめん)後、京都に戻らずに関東に向かわれたのは何故なのか、鎌倉時代の幕開け、武家政治とどのように向き合われたのか、次々に先生は研究の成果を著されてきました。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の 13人」はまさに親鸞さまが関東でご布教され「教行信証」をご執筆されていたその時代のドラマでした。ご著書には、時代背景、鎌倉時代の風俗そして結婚や家族の有り様も興味深く述べられています。
 来年4月28日に元上組親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要が明鏡寺様を会場に修行されることになり、その記念講演を今井雅晴先生にお願いできることとなりました。元上組研修旅行で今井雅晴先生に関東ご旧跡をご案内いただいたことがありました。さわやか講話会にもご出講いただきました。そしてこのたびはこのようなご縁をいただいたことを心より感謝し、慶びたいと思います。 合掌


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