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214号 感話:見えぬものを伝える [ 令和4年10月4日 ]

長い夏から一気に秋へ

214号 感話:見えぬものを伝える お彼岸は季節の節目でもありますね。「お寺の鐘」は半年撞いて半年休みます。夕方6時は随分暗くなりました。週の凡そ半分を小林章栄さんにお願いしてきました。こども園のお迎えの時間に鐘を撞いてくれた子どもたちにも感謝です。


214号 感話:見えぬものを伝える  今年の秋彼岸家族礼拝の日は「サンクスファイア ブツダンアイテム」と名づけて、お仏壇に長くおかれてもう使うことはない、けれどゴミとして出すにはとても抵抗があるという品々(可燃物)を、懇ろに読経して感謝のうちに焚きました。写真のように鐘撞き堂の前でドラム缶を置いて、梵鐘の撞き納めとともに、古くなったお念珠やお経本、式章などが赤い炎を上げて燃えあがりました。


子ども彼岸会 -東京大空襲紙芝居-

214号 感話:見えぬものを伝える さくら組はお御堂で『秋の彼岸会』のお参り (前川こども園 配信ドキュメントより)
 先生が東京大空襲を題材にした紙芝居を読んだ後、どんなお話だったか振り返りながら戦争について考える時間がありました。なんで戦争が起きてしまうんだろう?という話の流れから、みんなのお父さんお母さんは喧嘩する?という理事長の問いに、「しなーい」「する!」とそれぞれ反応があって、その中のひとりが「(喧嘩するパパとママは)かっこ悪い!」という声が聞こえてきました。普段から喧嘩はダメ!っていう大人も喧嘩する ・・・・ 子どもはよく見ていますね。喧嘩のあとの仲直りの姿も見せてあげてほしいなと思いました。
 そして前川に住む方から提供してもらった長岡空襲時の焼夷弾の弾頭部をみせてもらいました。爆弾のおもりとなる部分ですがこんなものが空から降ってくるなんて ・・・・ 戦争の恐ろしさを改めて感じさせられます。こうやって戦争にふれる機会はどんどん減っていくように思いますが、知ることはとても大事です。おうちでも話し合ってみてください。 副園長


第3回日曜法座研修会 -如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして-

214号 感話:見えぬものを伝える  ご講師赤坂桐子さんは地蔵堂組永了寺の住職です。女性の視点からご法話をいただきました。ご自身が一年前から身体の不調に悩まされ、それを巡ってのお母様との物語でした。 ずっとそりが合わずなんどもぶつかり合ってきたのに、自分が夜も眠れない日々を過ごしていたとき、そっと襖の隙間から様子をうかがい、ついには添い寝までしてくれた母親。自身大病をして不安を抱えているはずなのに、自分のことは差しおいて老いてもなお娘を気遣う母親は、苦悩の有情をすてられず寄り添い続ける阿弥陀様のお慈悲と重なるものでありました。合掌


感話 見えぬものを伝える

「本当(ホントー)にだいじなものは隠れて見えない」これは竹内まりや作詞「いのちの歌」の一節です。「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」は金子みすゞさんの詩「星とたんぽぽ」のサビのフレーズです。
 見えないものとは何でしょうか。見えないものを何とか伝えようとしているのが歌であり、詩であり、絵であったりします。見えないけれども大切なものとは何でしょうか。人の心の中は見えません。見えないものに支えられていると気がついたとき、人はやさしくなれるかもしれません。私たちの心の中も見えません。ときには恥ずかしくなるような自分の心に気がつきます。なんと身勝手な私も。
「小さい白いにわとり」のお話。昭和40年代に小学校1年生の国語教科書に載っていたそうです。


214号 感話:見えぬものを伝える  小さい白いにわとりが、みんなに
むかって いいました。
「この むぎ、だれが まきますか。」
ぶたは「いやだ。」といいました。
ねこも「いやだ。」といいました。
いぬも「いやだ。」と いいました。
小さい白いにわとりは、ひとりで
むぎを まきました。
 小さい白いにわとりが、みんなに
むかって いいました。
「この むぎ、だれが かりますか。」
ぶたは「いやだ。」と いいました。
ねこも「いやだ。」と いいました。
いぬも「いやだ。」と いいました。
小さい白いにわとりは、ひとりで
むぎを かりました。
 小さい白いにわとりが、みんなに
むかって いいました。
「だれが、こなに ひきますか。」
ぶたは「いやだ。」と いいました。
ねこも「いやだ。」と いいました。
いぬも「いやだ。」と いいました。
小さい白いにわとりは、ひとりで
こなに ひきました。
 小さい白いにわとりが、みんなに
むかって いいました。
「だれが、パンを やきますか。」
ぶたは「いやだ。」と いいました。
ねこも「いやだ。」と いいました。
いぬも「いやだ。」と いいました。
小さい白いにわとりは、ひとりで
パンを やきました。
 小さい白いにわとりが、みんなに
むかって いいました。
「このパン、だれが たべますか。」
ぶたは「たべる。」と いいました。
ねこも「たべる。」と いいました。
いぬも「たべる。」と いいました。

 本願寺派保育連盟刊「まことの保育」(2022 10月号)に紹介されていました。何を伝えようとしているのでしょうか。小さい白い鶏の心の中は何も書かれていませんが、小学校1年生は鶏の心の中をのぞいて見ようとするのでしょう。豚と猫と犬の心の中ものぞこうとするでしょう。そして最後に鶏がどうしたのかも書かれていないままに終わっています。答えをさがそうとすると、自分の心の中をのぞいているのだと気づくかもしれません。これはウクライナの民話だそうです。心はコロコロ転がります。合掌


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