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198号 感話:寄り添う -ひとりじゃないよ- [ 令和3年6月8日 ]

長岡市に特別警報

198号 感話:寄り添う -ひとりじゃないよ-  今年もまた、田んぼに水が入り、早苗が少し心細そうに揺れる季節になりました。木々の緑も相まってきれいな景色だなと思います。
 5月に入り、長岡市の新型コロナウイルス感染状況は過去最悪になって、新潟県は5月17日から31日まで長岡市全域に「特別警報」を発令しました。これまで比較的安心と思われていた若年層にも感染が拡がっています。これが変異型ウイルスの怖さなのでしょうか。また一方で65歳以上の高齢者を対象としたワクチン接種がはじまり、日増しに接種率が上がっていくニュースに期待を感じています。
 こんな状況の中で今が我慢のし時だと多くの方々が気を引き締めています。私どもの寺院行事も日曜法座とお寺ヨガを5月30日と28日予定のものは中止に致しました。6月以降も判断がむずかしいのですが、長岡市の特別警報が6月1日に解除される見込みになりましたので行事予定に入れました。


朝ドラ「おかえりモネ」 登米と前島のものがたり

198号 感話:寄り添う -ひとりじゃないよ-  子どもの頃、「昔、登米郡に前島から移住した家族がある」と父から何度か聞いていました。その中には当時まだ小学生だった父の同級生もいました。堀井敬次著「信濃川の流れとともに -前島のむらつくり史-」(昭和62年刊)によれば、「昭和7年、前島の農家4戸が新天地を求めて登米郡米山村に移住した。入植、開拓の苦労はひと通りのものでない。掘立て小屋に電気もなく、飲み水さえ不自由の暮らしの中で、一刻も早く耕地づくりを急がねばならなかった」と記されています。
 平成25年6月に、恵以真会研修旅行で東日本大震災被災地南三陸町を訪れ、その折りに登米市まで足を伸ばしました。ようやくこの地を訪れることができたと感慨を新たにしました。5月24日放送の「おかえりモネ」に登米市教育資料館旧高等尋常小学校が映りました。この写真の建物です。教室の中で撮った写真もありますが、その教室も映し出され思わず「オーイきて 早く早く」と連れ合いを呼んで見入った次第です。「おちょやん」が終わって、寂しいと思っていましたが、急に引き寄せられています。この研修旅行に参加された皆さん、ご覧になりました?! ドラマのモネさんがどうして気仙沼を飛び出して登米にやってきたのか、どういう人と出会っていくのか楽しみにしたいと思います。
 もうひとつご縁のつながりを紹介します。平成26年8月、登米市米山町在住の永原(ナガハラ)さんがひょっこり託念寺を訪ねて来られました。移住された4家族のおひとつです。ご親戚の方も含めて4人で。前島から移住された方々はすでに亡くなられていますが、当時の屋号もしっかり伝え聞かれており、ふるさと前島はファミリーヒストリーに欠かすことのできない原点になっているのだと思いました。



感話 寄り添う -ひとりじゃないよ-

198号 感話:寄り添う -ひとりじゃないよ- こども園の降誕会行事をお御堂で行いました。親鸞さまの誕生日は5月21日でした。私たちは、生きているときは誕生日を祝い、亡くなると命日を大事にしています。命日は仏さまとして生まれた日です。私たちは人として命をいただいて誕生しました。不思議な奇跡です。そして今なお命があっていろんな方々と出遇うご縁をいただいています。そしてやがて死の時を迎えます。でも死んでお終いではありません。仏にさせていただくのです。そしてすでに仏となられた方は今もなお私にはたらき続けてくださいます。だから命日が大切になるのだと思います。
 仏のはたらきとは何でしょう。降誕会で子どもたちに「寄り添う」ということばについてお話をしました。「寄り添うって知っている?」と投げかけましたが、さっと答えてくれる子どもはおりません。子どもたちに「仏さまはいつも見ていてくださるんだよ」とよく使いますが、「寄り添う」はあまり使っていないことに気づきました。子どもたちがお御堂から帰るときに、親鸞さまのお像の前でお参りしてくださいと伝えました。そのお像の台座にことばが刻まれています。「ひとり居て喜ばば ふたりと思うべし ふたり居て喜ばば みたり(三人)と思うべし その一人は 親鸞なり」とあります。「私が仏になったら、いつもあなたの傍らに寄り添うていますよ」と辞世の句に遺されています。これも子どもたちには難解でしたね。


198号 感話:寄り添う -ひとりじゃないよ-  今日(5月26日)はスーパームーンの皆既月食だと報道しています。お月様は私が歩くと一緒に動きます。これが子どもの頃は不思議でした。歩いても走っても、私が見ていても見ていなくても、月が雲に隠れても、雲が晴れればまた一緒でした。「寄り添う」とはこういうことでしょうか。
 親鸞さまはお母さまが早くに亡くなったと伝えられています。そして9歳で得度でしたから親の愛情を存分に受けた記憶が薄かったと思われます。だからこそ僧侶になりながら、結婚を望まれたのかもしれません。降誕会の紙芝居で、幼少期の親鸞さまが、お母さまがいない寂しさを覚え、仏さまの前で手を合わせておられました。「ひとりじゃないよ」「いつもそばにいるよ」そんな声が聞こえてきたらいいと思いました。合掌


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