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195号 感話:手伝ってと頼ることの大切さ [ 令和3年3月2日 ]

寒波と暖波

195号 感話:手伝ってと頼ることの大切さ 2月21日と22日は一気に春の陽気でした。雪どけもすごいスピードで進みました。その数日前には大雪注意報が出て20cm以上は積もったと思います。朝雪かきをする必要がありました。ところが強い風が吹いて寒気から暖気に入れ替わりました。雪を少しいじっているだけでどんどんと溶けていきます。その証拠写真を残しておけばいいのですが、ことばで説明するしかありません。「春の小川はサラサラいくよ」と思わず鼻歌が出てきます。そしてその暖気からまたも寒気に入れ替わりました。夜来の雷と強風は怖いくらいでした。10日前の東日本大震災の余震といわれた相馬市沖の強い地震といい、自然はいつも「油断は禁物」と私たちを揺さぶっています。


地域の文芸・文化

 1月の日曜法座で青山町堀井實さんの随筆集「老いを愉(たの)しむ」の記事を紹介致しました。1月23日付け長岡新聞のコラム欄にたっぷりと共感が寄せられています。「人に会う愉しみ」に触れ、「この社会は人と人とが網の目のようにつながっていることを実感させられた」とコラム氏が記しています。随筆集の中で新潟日報読者文藝欄に掲載されたご自作の俳句や川柳などが随所に配置され彩りを添えています:
 「実梅もぎ 皆で分け合う わが村よ」 頂戴した力作をファイルに綴じてあります。堀井さん、ご希望があれば貸し出しも可能でしょうか。
 もうひとつご紹介します。 「何気なく使っていた言葉が昔を語る中に出てくる。味がありやさしさ温もりがある」と、前島町の小林章栄さんが、前川郷の方言を収集し、文字化し書き留められています。五十音順に整理されて発音と意味が記されています。すでに収録語彙は700語あまり。思わず笑ってしまう言葉の数々。「そうらった」「そんげのいいかたもあった」と嬉しく思います。「アタケル」「アイブ」「アッチペタ」「オッパショル」「オヤス」「カズケル」「カガッポイ」「クッズ」「サベクッチョ」「ソンダンダガ」「ダァスケ」「ドウショバ」「ヤヘヤヘ」「ヨ」「ヨオサリ」・・・実際に発音してもらわないと分からないものもあります。皆さん、大体分かりましたか。現代標準語訳を念のために添えます。「騒ぐ」「歩く」「反対方向」「折る」「終わらせる」「人のせいにする」「眩しい」「くれる」「話しすぎ」「それだから」「だから」「どうしようか」「残念 駄目だった」「お風呂」「夜」。小林家は4世代家族です。小林さんとひ孫さんとの会話から、思い立ったのだそうです。ひ孫さんが将来、音声付き前川方言辞典を編集して下さるかもしれません。


「ドウショバ」のものがたり

195号 感話:手伝ってと頼ることの大切さ  小林章栄さんが前川郷の方言を収集しておられます。その方言のひとつに「ドウショバ」が載っています。長岡空襲で発した祖母の「ドウショバ」ものがたりを紹介します。これは「私の被災体験 四郎丸本町 長尾弎麿」として「長岡の空襲」(昭和62年刊 発行:長岡市)に掲載されている体験談です。長尾弎麿さんは圓光寺の前々住職で連れ合いは父の妹である。
 昭和20年8月1日 私は勤労報国隊員として蔵王の工場に行っていたので、家にいなかった。夕方になって今夜あたりは怪しいという思いがしたので自宅に電話をした。「私がいなくともご本尊さまと、過去帳と、私の法衣道具と子どもたちを連れて逃げろ。いったん防空壕に入れ。大事なものはみんな井戸に投げ入れろ」と告げた。予感通り長岡の街は焼け野原になってしまった。私の家は焼失して、すっかり平らになって家族もいない。きっと前島に行ったものと思い、歩いて行った。着いて「来ていますか」と聞いたら、「まだ誰も来ていない」という返事。もう朝の7時だし、さては防空壕の中かと電話のことを話したら、家内の母は「それではドウショバ・・・」と絶望の声を出した。家の防空壕は、子どもの遊び場で広いところに作ってあった。・・・・
 私も母も驚いてさがしに出かけた。実は家族は栖吉川の堤防へ逃げていたのである。操車場のあたりまでくると、北の方から子どもを背負ってくる家内にであった。よく生きていたと涙で再会を喜びあった。グズグズしてはいられない。母と手分けで子どもを背負ってトコトコと前島へ再び戻った。・・・

写真は託念寺先々代住職顕昭と圓光寺先々代住職長尾弎麿さん


感話 手伝ってと頼ることの大切さ

本願寺新報に「ニュースを読む」というコーナーがあります。2月10日号に「介護殺人」「『手伝って』言える関係性を」という見出しに目がとまりました。2019年福井県で多重介護に苦しむ70代の女性が義父母と夫の三人を殺害し、今年1月に懲役18年の判決が出たという書き出しです。長年、「長男の嫁」として三人の介護を一人で担ってきたのだといいます。夫は会社を経営してその経理を担当し、義父母からは「自慢の嫁」と語られるほど責任感の強い女性であったから、周囲に「助けて」と言えなかったのではないか。執筆の記者は、私たちの社会では、迷惑をかけないことを美徳としているところがあるのではないかと指摘します。本当は、みんな、誰かの世話を受けて生きているのに、迷惑をかけてはならないと強固に思ってしまっている。人間は本当に苦しいときに「助けて」とは言えない。だから簡単なときに「助けて」と言うことが大切ではないか。日頃から「手伝って」「頼めない?」と言える関係性を作っていく。「助けて」と言うのは難しいからこそ訓練が大事なのだと。


 社会の制度を最大限活用することも大切です。森喜朗オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の問題発言に端を発して「多様性と調和」という言葉が注目されています。私たちはこれまで何度も「私と小鳥と鈴と」を歌い「みんなちがって みんないい」と手話で表現してきました。「みんなちがっている」はわかりますが、「みんないい」と胸を張って言えているでしょうか。
 そのヒントが「頼る大切さ」にあるように思いました。右の記事は朝日新聞2月13日、20日に載っていたものです。伊是名夏子さんは身長100cm、体重20kgです。7歳の息子と5歳の娘の母親です。この小さな身体で出産は無理と周囲にいわれながら、多くのひとに助けられながら無事出産されました。あきらめなければ応援してくれる人がいる。「妊娠27週、胎児が1千グラムになるまでおなかの中で育てられれば、高い確率で命を救えます。」医師はできるところまでやってみようと励まし、35週2160グラムで出産。「この子が入っていました。やっと会えたーと思いました。」 
 そして現在は2児の母親となって子育てをする日々です。できないことがたくさんあるので重度訪問介護という制度を利用し、計15人のヘルパーさんと育児や家事を一緒にしています。2人目を妊娠したときに、頼ることの大切さを痛感します。何かあったら自分一人では対処できない不安。夫は夜勤でヘルパーさんも深夜は不在。こんな時には長男を乳児院で預かってもらえる。その存在を知っただけでも楽になったそうです。障害があるなしに関わらず、つらいときほどつらいと言えません。伊是名さんはできないことが多いからこそ普段から頼れる先を増やしておこうと心がけています。
 折しも町内でTさんが4年の闘病生活を経て亡くなられました。最後の1年は寝たきりでご自宅で過ごされました。お連れ合いのSさんをお労(ねぎら)いすると、介護保険制度を十分に活用させてもらったので本当に助かりましたとおっしゃいました。Tさんは病気のために声を発することができませんでしたが、ヘルパーさんが帰られるときいつも手を伸ばしハイタッチされたそうです。家族に見まもられ、多くの助けをもらいながら最期の時を過ごされたTさんは私たちに大切なご法義を残して下さいました。 合掌


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