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170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること [ 平成31年2月4日 ]

春近し

170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること  大寒を過ぎても私どものところは積雪があまりありません。ここまで来ると今年は屋根の雪下ろしをしないで済みそうです。それでも冬です。寒い毎日です。そして早く春が来ないかと待ちわびています。右の写真は去年の早春保育園児がシミ渡りをしているときのものです。真っ白な雪原と白い雲その上には青い空が広がっています。シミ渡りは氷点下に冷え込まなければできませんが、春到来を告げる何とも嬉しい寒さです。去年のこの日私も雪原を子どもたちと一緒に走り回りました。


170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること  親バカを許してください。保育園の副園長を務めている当院(長男顕一)が、子どもたちのさまざまな表情を前川の自然も折り込んで小さな写真集「前川日和」として制作しました。このたびその展覧会が開かれることになりました。上の写真はその案内カードです。プロの写真家を含めて4人の作品が展示されます。よろしかったら覗いてみてください。


「智者の毒」ということ

170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること  1月の法語カレンダーに「如来誓願の薬は よく智愚(ちぐ)の毒を 滅するなり」のことばが載っていました。如来誓願はどんな薬なのでしょうか。智愚の毒に効くという。仏教では煩悩の代表として三毒をあげます。欲と怒りと愚かさです。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)といいます。貪:むさぼり・必要以上に求める心 瞋:怒り・憎しみ・妬みの心 痴:おろかさ・愚痴・無知。これらを「愚者の毒」と喩えてもいいと思います。
 それでは智者の毒は何でしょう。自分は賢いと思い込んでいる人です。人間世界の賢さはたかが知れています。かつてアメリカの大統領になるような人はIQ180を超えていると聞いたことがあります。知能の高さで言えば天才です。知識もあり、頭の回転もよく、お勉強はよくできます。今のトランプ大統領がいくつかは知りませんが、きっと自分は賢いと思い込んでいるのでしょう。でもその人がひとの意見に耳を傾けず、いつでも自分の方が正しいと思っていたら、非常にやっかいな存在になります。こんなことがトランプさんに聞こえたらちょっと怖いです。トランプさんを例に出さなくとも私たち一人ひとりが自分を振り返ってみれば、どこかにそんな智者の毒が潜んでいると気づきます。親は子どもに対して、先生は生徒に対して、会社では上司が部下に対して、知らぬ間に智者の毒をふりまいているのかも知れません。
 しんじんのうたには「信心よろこびうやまえば まよいの道はたちきられ ほとけの誓い信ずれば いとおろかなるものとても すぐれし人とほめたまい 白蓮華とぞたたえます (獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華)」とあり、愚者の毒は、そのままでも、愚者であることの自覚こそが、阿弥陀さまとの出遇いのよろこびに転じられていくというのです。でも私自身のことで正直に言えば、愚者を自覚することで智者になれると錯覚しているようでもあります。


感話 誰にも代わってもらえないいのちを生きること

170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること 以前ビデオかテレビかで見たことがありました。浄土真宗のお寺に生まれながらカトリック教会の神父さんになった人が長岡空襲の体験を語っている映像を。新しい年を迎えて間もなく、長岡市花祭りの戦前の写真があるのでお渡ししたいと市内のお寺さんから一本のお電話をいただきました。目的を果たした後に坊守さんが見せて下さったご本が後藤文雄著「今ここに」(2018年 講談社エディトリアル刊)です。後藤さんの生家がこのお寺さんだったのです。


 後藤さんは長岡空襲でお寺が焼け、母親と妹2人、弟そして同居の叔母を失いました。一緒に逃げたはずの父親だけが助かって、おまけにその父親がそのわずか1年半後に17歳も年下の女性と再婚しました。これが父親との確執となって家を出てカトリックの洗礼を受けることになったとあります。ドキドキするような物語の始まりです。後藤さんはその後神父となって活躍され、カンボジア難民の子どもたちの里親になったり、現地で学校作りに尽力されて長岡市の「米百俵賞」や毎日新聞の国際交流賞を受賞されています。後藤さんがどうしてこういう活動をするに至ったのか、80歳を超えた人生を振り返って書いておられます。
 後藤青年は、戦争が終わって上京した上野駅の地下道で浮浪児と呼ばれた戦災孤児のみじめな姿を目にしました。ボロ切れをまとった子どもたちが、闇市の屋台の片隅で、這うように食べ物のかけらを拾ったり、タバコの吸い殻を拾い集めていたのです。そのみすぼらしさに耐えられないほどの痛みを感じられました。洗礼を受けたときに、こうした恵まれない子どものために生涯を捧げたいと申し出て神父になる道を選ばれました。戦災で一切を失ったこと、戦災孤児に出会ったことなどが後藤さんの人生を方向づけたと言えるかも知れません。
 信仰をめぐって、先輩の神父から「お前のキリスト教は阿弥陀のキリスト教だ」と喝破されたことがあったと記されています。ご著書のなかには、長岡が何度も出てきます。母親との思い出、お姉さんを病気で亡くしたときのこと、お寺で過ごしたときの出来事など。「B29の爆撃で全身火ぶくれになった母が、最後はつぶやくように唱えていた六字の名号。死んでいく人たちもそれを取り巻く人たちも唱えていたのだ。この原風景がカトリック化されたのであろう。」と後藤さんご自身が述べられていますが、カトリックの神父さんとして活動されながら、その根底には浄土真宗のみ教えがしみ込んでいるように思えてなりません。大乗仏教に流れる「人のために生き、人と共に生きる」生き方に通じるものを感じました。合掌


子ども報恩講

170号 感話:誰にも代わってもらえないいのちを生きること  1月15日 前川保育園で子ども報恩講を行いました。
 本願寺で出しているDVD「仏典物語:子どもたちよ」を視聴しました。このDVDの中に「共命の鳥」のお話しが出ています。仏参行事の後、さくら組(年長クラス)さんだけ特別にお内陣に上がって、前卓に彫られている「共命の鳥」を間近で見ました。この鳥は、身体が一つで頭が二つの珍しい姿をしています。私たちは別々のいのちをいただいているけれど、いのちは皆つながっているのですよと教えているのです。


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