169号 感話:「私たちのちかい」 念仏者の生き方4か条 [ 平成31年1月7日 ]
あけまして おめでとう ございます
謹賀新年
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
(平成31年「心に響くことば」表紙より)
煩悩だらけで生きていても お浄土が用意されています。
今年もご聴聞致しましょう
わが家の年賀状にとらこの写真を載せました。年賀状には孫達と一緒に何度も登場しましたが、これが最後です。
平成30年2月8日 大雪の日。とらこは17年のいのちを終えました。最後まで精一杯生ききってくれました。
平成30年終い講の御礼
日曜法座は平成30年も皆様に支えられて務めることができました。12月16日の「終い講」には36名の方々と一年を振り返り、お昼ご飯とビンゴゲームを楽しみました。幹事小林章栄さんはご挨拶で「託念寺のお朝事(日曜法座)は分かるだけでも五代前の住職から始まっているのでもう150年の歴史があり、明治初期にはその声が遠近各地に届いていました」と持ち上げてくださいました。つながってきたものを守ることは容易ではありませんが、伝統があるからこそできるのだと思います。近年ではこの地域でない方々もお参りくださっています。新しい年、日曜法座にどうぞいらしてください。お仲間ができますよ。
写真は平成31年亥年のいのししです。
今年も関ハナさんにいただきました。
北海道胆振東部地震災害義援金」の ご報告と御礼
期間:10月1日〜12月20日 金額:41,093円
ご協力ありがとうございました。
本願寺派北海道教区教務所にお届けいたしました。
平成最後の天皇誕生日に述べられたこと
12月23日は天皇誕生日で祝日でした。平成31年のカレンダーには「平成の天皇誕生日」と朱書きされていますが、祝日になっていません。改めて連休となった最後の祝日を感慨深く受けとめさせてもらいました。この日はテレビで会見の様子が流され、天皇陛下が歩まれたご半生が紹介されていました。
象徴としての天皇、それよりも人間としての天皇のお姿に共感を覚え感銘を受けました。会見の全文が新聞等で紹介されていますが、一部引用させていただきます;
「東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。」
「明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。」
何度読んでも、映像を見ても、そのたびに涙があふれ出るのは何故でしょうか。私もこんなふうにご縁をいただいた方々や伴侶を思いながら生きたいと心から願う気持ちと重なるからでしょうか。お務めを生涯かけて真心を持って果たしてこられたお姿お人柄に敬意が沸いてくるからでしょうか。感謝です。
感話 「私たちのちかい」 念仏者の生き方4か条
ご門主さまのご親教です(平成30年11月)
<私たちのちかい>
一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
ひとはどうして「自分は正しい」と思うのでしょうか。
年末に孫達と温泉に行って楽しい時間を過ごしました。確かに楽しい時間を過ごしているのに、時々愚痴をつぶやきます。気持ちよく過ごせるようにこうして欲しい、これは約束だよと言います。そのときは「はい」と返事をしてくれます。なのに私の思い通りに行動してくれないと、もう内心穏やかでなくなります。食事の仕方、おやつの食べ方、お小遣いの使い方ひとつひとつ私の基準に合わないと、それが愚痴になります。私が孫に小言を言えば、娘は自分が責められていると思い、子どもたちに当たります。その言動が気になって娘を諌めると、さらにエスカレートします。こんなとき孫達は母親をかばいます。私は声に出さずため息をついてその場が収まります。今孫達が帰ってしまって、いろいろと思い返すと、私は自分のやり方が正しいと信じているのです。これは孫がかわいい、娘がかわいいから言っているのだと思い込んでいるのです。私の信じた正義を押しつけ、それが思い通りにならないと腹を立てる。冷静に考えると、これが「おごり、たかぶり、いかり」の煩悩なんだと気づきます。「苦」とは自分の思い通りにならないことと説かれていますが、理屈でどれ程肯いてもこころは言うことを聞いてくれません。
「私たちのちかい」はどれも「きれいごと」に聞こえてしまいますが、お浄土に向かって歩む道しるべとして、自分の姿を思い起こす鏡として、大切にしていきたいと思います。合掌
年賀状の写真のもう一枚です
前川保育園副園長(託念寺当院)が「前川保育園の四季」の写真集を製作しました。その表紙に使われているものです。