浄土真宗本願寺派 託念寺のホームページ

浄土真宗本願寺派 託念寺

167号 感話:七里恒順のものがたり 諸有衆生 [ 平成30年11月2日 ]

晩秋です

167号 感話:七里恒順のものがたり 諸有衆生  日が短くなり、もうすでに暖房のお世話になっています。それでも晴れるとポカポカとひなたぼっこが気持ちいいです。去年の今頃は、わが家のとらこが縁側で気持ちよさそうに横になっていたと、その姿が急に懐かしく思い出されました。
 NHKで「チコちゃんに叱られる!」をやっています。5歳の女の子から素朴な疑問が発せられ、答えられないと「ボーっと生きてんじゃねぇよ」と叱られます。先般法要のお勤めのあと、小学生の男の子に「ナモアミダンブ ナー」と最後だけは全部言わないで延ばして終わるのはどうしてですかと聞かれました。
普段何も考えずに読んでいるのですね。答えられませんでした。こんな疑問はたくさんありますね。


お念仏は理屈をつけすぎず

167号 感話:七里恒順のものがたり 諸有衆生  元上組「み教えに学ぶ集い」で前ご門主様の「いまを生かされて」を読んでいますが、「お念仏は理屈をつけすぎず」とありました。お念仏を称えることは、簡単なようで簡単でありません。お念仏申す身になるご縁はさまざまです。気がついたときには「言えていた」と振り返られる方もおられるでしょう。例えば、大切な人を亡くしてしまったとき、行き場のない悲しみ、寂しさの中でお念仏をするしかなかったということもあるでしょう。前ご門主様は「お念仏のいわれをすべてわかったうえでお念仏を申すのとは違って、お念仏のご縁によって自分が育てられていると感じることはとても大事なことです」と述べられています。


広島を訪ねて

167号 感話:七里恒順のものがたり 諸有衆生 10月18日 本願寺保育連盟安芸教区からお声かけいただき、まことの保育研修会の講師を務めさて頂きました。会場の広島別院は広島市の中心部に位置していました。昭和20年8月6日の原爆投下ですべて焼け野原になりました。宿泊したホテルは平和通りに面していて、研修会の翌朝好天に恵まれて平和公園まで歩いてきました。公園の中央に原爆死没者慰霊碑がありその正面に立つとその先に原爆ドームが見えるのですね。そこで手を合わせました。自然と涙がこみ上げてきます。そして元安川の川べりでは水辺コンサートが開かれていました。大勢の高校生がソプラノ歌手の歌に耳を傾けていました。「死んだ男の残したものは」という歌でした。はじめて聞いた歌でしたが、耳にメロディと歌詞が残り、家に帰ってから調べました。


167号 感話:七里恒順のものがたり 諸有衆生  詩人谷川俊太郎が、ベトナム戦争のさなかの1965年「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために作詞し、武満徹が1日で曲を完成させたのだそうです。
 歌詞は6番まであるのですが、1番と4番を記しました。インターネットで検索するとたくさんの動画でこの歌を聞くことができます。森山良子がよかったです。この歌を私たちの本堂で聞きたいと思いました。

「死んだ男の残したものは」作詞:谷川俊太郎
1.死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった
4.死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった


感話 七里恒順のものがたり 諸有衆生


 広島に行った折、お世話になっている先生から1枚のCDをいただきました。先生のご法話が収められていました。「車の中ででも聞いてください」と言われたままに新潟別院の往き帰りに聞きました。先生のご法話は「聞其名号信心歓喜」から始まりました。託念寺のお御堂に横書きの額縁が掲げられています。「その名号(南無阿弥陀仏)のおいわれを聞いて信じ歓喜する」と読みますが、この仏説無量寿経の言葉こそが浄土真宗の根幹ですと述べられていて嬉しくなりました。私が今月号に書こうとしている七里恒順法話集の冒頭がこのお説法でありました。味わってみましょう;


 「諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念;この成就の文が三部経の中で一番大切な箇所で万一この教説がないならば、御本願は有り難くても、お互いに安心ができません。弥陀の誓願は、すでに成就してこの通りだぞと知らしめしてこそ、お互いに大安心ができるのです。諸有衆生とは、あらゆる衆生を皆漏らさないことを示していて、人を誰一人差別しないことが宣べられています。これは漠然と聞いていれば何ともないようだが、他の仏様のお慈悲に比べたら実に有り難いことでありますよ。普通に考えたら人間の器量は差があって、その中の極々上等でなければ諸仏の法は聞かれません。「観無量寿経」でも九品に人間を分け、下三品は善根がなく悪の多少で分けられています。 ところが弥陀の誓願は、無一文の貧乏人でも大金持ちでも龍樹菩薩のような沢山のお徳を積んだ人でもまったく差別しないんです。「大名も裸で入る風呂の中」と言われるようにどんな高価な衣服を身につけているひとも、普段から単衣着物だけで過ごしている人でもお風呂には皆裸で入るしかない。本願を聞いて信じるとは自力の善根を全部脱ぎ捨ててお風呂に入ることと同じことですよと云々。
 「誰一人漏らさない」「決して分け隔てしない」、お念仏からそんな声が聞こえてきます。合掌


イメージ:ボタン

浄土真宗本願寺派 託念寺
〒940-1147 新潟県長岡市前島町211
TEL/FAX.0258-22-2998
E-mail.maeho44@crocus.ocn.ne.jp