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166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり [ 平成30年10月2日 ]

相次ぐ自然災害

166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり  前川周辺の田んぼでは稲刈りが進んでいます。さっそく新米をいただきました。お米を炊いているときの湯気に混じる香ばしさとそして味わいとワクワクしますね。今年は雨が少なく猛暑の夏でしたから、ここに至るまでのご苦労も並大抵ではなかったと思います。美味しさとお難儀(なんぎ)をかみしめたいと思います。
 それにしても災害続きにため息が出てしまいます。台風21号が関西地方に大きな被害をもたらして、そのすぐあとに北海道胆振(いぶり)東部地震が発生しました。9月4日と6日のことでした。台風21号は本願寺にも甚大な被害を及ぼしました。以前新潟別院のご輪番をなさっていた渡邉信壽様から京都山科別院の被害の様子をメールでお知らせいただきました。山科別院は蓮如様の御廟所(びょうしょ)があります。写真はその御廟所内のもので太い松の木が倒れているのが分かります。北海道地震では、厚真(あつま)町の山林で大規模な崖崩れが発生し、住宅が巻き込まれ多数の死傷者がでました。本願寺助けあい募金に今回も上記のご浄財が寄せられました。引き続きご協力をお願いいたします。義援金の行く先は本願寺にお任せしたいと思います。

本願寺助けあい募金(その2)
「平成30年豪雨台風地震義援金」の
ご報告と御礼
期間:8月16日〜9月28日
義援金額:30,598円


秋のお彼岸会家族礼拝

166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり  9月23日はさわやかな秋晴れに恵まれました。恵以真会主催の家族礼拝も今回で25回になりました。前川保育園の先生方や子どもたちも含め70名あまりのお参りがありました。男性役員が調声して「しんじんのうた」をおつとめし、イベントは今井和江先生による紙芝居でホンモノの迫力を楽しみました。先生は「新潟ひょうしぎの会」会長を務めておられます。拍子木の音で始まる情緒も先生の地元ことばも味わいがありました。


動物のお墓に合同納骨

166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり  同じお彼岸の日に、動物の納骨を4家族合同で行いました。ご縁あってそれぞれのお家でご家族と永年一緒に生活し、あるときはご家族からたっぷりの愛情を注がれ、あるときはご家族の心の絆となり、あるときはご家族の寂しさや悲しみに寄り添ってくれたイヌやネコでした。そしてそれぞれにいただいたいのちを全ういたしました。わたしどもの「とらこ」もそうでした。前日連れ合いとなくなったときに書き留めた記録を読み返し、一緒に暮らした日々を追憶しました。


託念寺動物共同墓「動物のお墓」利用規程

166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり (名称)
第1条
 託念寺の動物共同墓を「動物のお墓」と称する。

(目的)
第2条
 犬や猫など愛玩動物の埋葬希望に応えるため。また、生きもののいのちを大切に思うこころを育み、子ども若者ご縁つくりの一助とする。
2 託念寺動物共同墓(以下「動物のお墓」と記す)は、託念寺にゆかりのある方々の愛玩動物の遺骨を収納し、永代護持する。
 
(動物のお墓の構成)
第3条
 動物のお墓の構成は、礼拝壇、納骨室、香炉、花立て台からなる。
2 礼拝壇には、ののさま人形とかな名号「なもあみだぶつ」を置き、荘厳する。
3 納骨室は、礼拝壇の下にあり、背面から納骨する。
4 納骨された動物は「動物のお墓納骨簿」にその名前を記し、無量寿堂に保管する。
5 香炉花立て台は、礼拝壇前に設置する。

(利用者)
第4条
 託念寺の門徒、浄土真宗の門信徒、あるいは託念寺および前川保育園にゆかりのある方とする。

(納骨冥加代)
第5条
 納骨1体につき5千円とする(納骨読経懇志も含む)。

(動物のお墓護持)
第6条
 護持、管理は託念寺が行い、そのための費用は利用者には求めない。

(動物のお墓 謝恩参拝)
第7条
 秋の彼岸会に有縁の方々と共に謝恩の読経を勤める。


附則
 この規程は、平成30年4月19日から施行する。


感話 貧困の克服 七里恒順のものがたり

166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり  本願寺では宗門全体で取り組む実践目標に「貧困の克服に向けて」を掲げ、重点プロジェクトとしてスタートすることになりました。そのための学習会が新潟別院で開かれた折、七里恒順師が近代日本において貧困問題に先駆的に取り組んだ僧侶として紹介されました。私は嬉しくて「私どもの仏壮仏婦の組織である恵以真会は七里恒順師のもとで学んだ私の曾祖父(了凢)が師の志しを伝えようと命名したものがその源流になっています」と発言しました。
 師は江戸時代後期に飯塚明鏡寺に生まれ、勉学を修めた後博多萬行寺(まんぎょうじ)に入寺されました。託念寺10代住職了凢は明治12年から数年間にわたって師のもとで仏教および真宗の教えを学びました。今年11月に了凢の百回忌を迎えるので今月と来月の2回にわたって七里恒順師のことを取り上げようと思います。師の伝記である「七里恒順和上言行録」によれば、萬行寺境内に「龍華孤児院」を開き、孤児たちに、衣食住を与え、立派に育てて社会に送り出すなどの今で言う福祉活動を行っています。また孤児だけでなく勉学を志すものが経済的に困ったときには人知れずそれを補ったことも記されています。そんな恒順師の人柄がにじみ出た逸話があります。それは萬行寺に入って間もない頃、3人組の押し込み強盗が侵入した時の実話です;


166号 感話:貧困の克服 七里恒順のものがたり  強盗たちは刃物を突きつけ「金を出せ」と脅しました。すると恒順和上は平然と手文庫を開けて中に在った43両を見せたので、強盗の1人が鷲掴みにして逃げようとしたのですが、その背中に「その内の3両は明日人に渡す約束があるから、それだけは置いて行ってくれ」と声をかけました。強盗は仕方なく3両を置き、逃げようとすると今度は「お前たちは金子をもらいながら一言の礼も云わぬのは無礼だと思わないか」と叱ったので、強盗たちは頭を下げてから走り去ったのです。それから数年後、恒順和上は役所から呼び出されました。それは「捕縛された強盗が以前、萬行寺に押し入って金を奪ったことを自白しているが間違いないか」という確認だったのです。しかし、恒順和上は「それは彼らが奪い取ったのではなく拙僧がやったのだ。その証拠に彼らは厚くお礼を述べて立ち去った」と否定しました。この証言もあって強盗たちは軽い罪ですぐに釈放されたそうですが、「あの時ほど恐ろしい思いをしたことはない」と語り、正業に就いたそうです。

 私の祖父顕昭は、戦後まもなく宮内中学校のとなりに戦争未亡人のために母子寮と保育所を立ち上げ、授産事業を熱心に行いました。これらの活動も七里恒順師につながっていたのです。合掌


写真は家族礼拝の様子です。



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