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163号 感話:ありがとうと言える子どもを育てる [ 平成30年7月4日 ]

恵信尼さまを偲ぶ旅

163号 感話:ありがとうと言える子どもを育てる  今年は親鸞聖人の奥さま恵信尼公750回忌にあたります。恵以真会では研修旅行として恵信尼さまゆかりの御寺院をお訪ねしました。こぶしの里恵信尼さま会館では安楽寺坊守様と国府教区の仏教婦人会杉田さんににこやかに迎えていただきました。次の浄覚寺様ではご住職と坊守様が本堂で待っててくださいました。ご住職には初めてお目にかかると思っていたのに、これまで何度もお会いしていました。浄覚寺様は託念寺と同じ年代にお東からお西に転派し、明治13年に火災に遭って全焼しています。託念寺は明治14年に火災に遭いました。よく似た経緯に親しみを覚えました。浄覚寺縁起がA4版1枚にカラー写真8枚を添えてまとめられていました。私の連れ合いはそれにたいそう感激して、託念寺もこういうのを作れば訪ねてこられた人に要領よく説明できるよと助言してくれました。私も大きく肯きました。


163号 感話:ありがとうと言える子どもを育てる  最後は専敬寺様でした。頸城地方で最も大きなお寺であり、木造建築として新潟県最大級の大きさです。またこの集落は親鸞聖人の小黒女房伝説が伝わる場所でもあります。県内でも有数の豪雪地帯です。お手製のケーキを頂戴し、帰り際に坊守様が「私はお嫁さんとどうしてこんなところに嫁いできたのでしょうねと愚痴をこぼし合っているのです」とおっしゃいました。山門前に掲げてある「喜びは・・・・」のことばが実感され、ご苦労が偲ばれました。


ホモサピエンスが生き残ったわけ

163号 感話:ありがとうと言える子どもを育てる  「ネアンデルタール人の方が体力は勝っていたのにどうしてホモサピエンスが生き残ったのか」 そんなテーマの番組を見られた方も多いでしょう。先般東京であった保育関係のセミナーでも心理学の最近の研究から、1歳前後の赤ちゃんがすでにいじわるの場面よりも助ける場面に共感的反応を示すのだと紹介されました。私たち現在の人類は生まれた直後から「苦しんでいる人を援助する」遺伝子が組み込まれているというのです。2,500年前に仏法を説かれたお釈迦さまの偉大さを思います。

右の新聞切り抜きはH60.6.21 朝日新聞「折々のことば}より


感話 ありがとうと言える子どもを育てる  鷲尾純一

163号 感話:ありがとうと言える子どもを育てる   (本願寺派保育連盟刊 まことの保育 2018 7,8号 より転載しました)
 「ありがとう」の反対はなんですか、と子どもたちに尋ねると「ごめんなさい」という答えが返ってくることがあります。何かいいことをして「ありがとう」と言われると嬉しい気持ちになります。「ごめんなさい」は、いけないことをしたとき、やっとの思いで口にすることばです。そんな経験があるのでしょう。こころの中を振り返るとちょうど反対の感情になっているので間違いとはいえません。
 でも「ありがとう」はもとは仏教の言葉で「有り難し」が由来になっています。その意味では反対の言葉は「当たり前」でしょうか。今月は「ありがとう」のお話をいたします。
 お釈迦さまが説かれた最も古いお経といわれる『法句経(ほっくきょう)』には、「ひとの生(しょう)をうくるは難(かた)く、やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有り難し」とあります。私たちは人としていのちをもらっていますが、これは奇跡みたいなものです。そしてやがては必ず終えるいのちが今まだあることもまた奇跡的なことです。
 私たちは生まれたときのことは覚えていないので、気がついたときには自分がいて家族がいます。なんの不思議も感じません。「当たり前」と思っています。それがあるとき気がつきます。虫や小さな細菌にいたるまで皆いのちがあってそれぞれが不思議なご縁で生まれてきています。植物もいのちがあって生きています。たくさんの種類の生きものがいてその個体数も数えきれません。鮭を人工孵化させて川に放流する場面がときどき放映されます。子どもたちは「また帰ってきてね」と、手をふって見送りますが、もとに戻ってくる数はわずかです。なるほど、私が今、人として生きていることは有り難しです。人として生まれることだけが尊いのではありませんが、人として生まれたときに仏さまのお話を聞かないともう聞く機会が巡ってきません。


 私どもの園では寺の本堂での仏讃行事があります。あるとき「4つのおやくそく」の説明をしていて「ありがとうはどんなときにいいますか」と聞きました。「プレゼントをもらったとき」「何かをしてもらったとき」と答える子どもの中に「お母さんに私のいのちをもらったこと」と年長の女の子が答えました。初参式に参加し「お母さんの子どもとして生まれてきてくれてありがとう」とお母さんに思い切り抱きしめられたことを思い出したのかも知れません。
 親に出遇い、わが子に出遇ったことも不思議です。さまざまな条件が揃って何万分の一、何億分の一か分かりませんがごくわずかな確率で人として生まれ、そして今の自分に出遇っているのです。何と有り難いことでしょうか。
 地域によって違いがありますが、7月、8月にはお盆があり、お墓参りをします。私たちの地域は、我が家のお墓だけでなくご親戚のお墓も回ります。墓地が離れているときは車で移動してお参りします。こんなとき自分が今ここにいることが当たり前ではなかった、多くのおかげさまがあって自分があることに気づきます。手をあわせて「ありがとう」の意味を味わいたいと思います。 合掌


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