160号 感話:痛み 苦しみ 思い通りにならないこと [ 平成30年3月31日 ]
自立の春 その1 家族礼拝の御礼
春のお彼岸「家族礼拝の日」にはたくさんの方にお参りいただきありがとうございました。恵以真会婦人部役員による「語り法話:赤いカーネーション」には涙を誘われた方もおられるでしょう。
遠く鹿児島の子どもたちの演じた創作劇は、同じ5歳児さんがおばあさん、先生、お母さん、典子ちゃん、子どもたちの役を微笑ましくも熱演していました。鹿児島のこども園園長先生からお手紙をいただき、私が本願寺保育連盟の研修会で紹介した「となりのたぬき」のお話を園児に語ったとありました。遠く離れていてもみ教えを喜ばせていただいているお仲間を感じます。
お彼岸のお参りには今年高校を卒業し、大人の仲間入りをするかつての園児が参加してくれました。あらかじめ写真をみて顔と名前を間違えないように何度も予習したのに、すぐに名前が出てこないのです。たくましく、また落ち着いた雰囲気の立派な青年になっていました。この子達が保育園の4歳児になったとき私は寺に戻ってきたのです。子どもたちの成長の年月は、私の老熟の歳月でもあります。彼岸会の後「お祝いのケーキ」を囲んで、これまでのことやこれからの希望を一人ずつ語ってもらいました。みんな終わって阿弥陀さまに手を合わせて帰る彼らを私と坊守はまぶしい思いで見送りました。
自立の春 その2
23日は前川小学校の卒業式。今年も卒業報告にお父さんとお母さんと一緒にいらしてくださいました。前列に並び「しんじんのうた」をお勤めしました。お焼香をするとき「阿弥陀さまに手を合わせてここまで育ててくださったお家の方々に感謝しましょう」とお話ししました。保育園時代の担任の先生もお祝いに駆けつけて可愛かった6年前の写真や卒園文集を見ながらタイムスリップを楽しみました。仏さまに手を合わせること、敬いと思いやり、感謝の気持ちを大切にしていって欲しいと願いました。
感話 痛み 苦しみ 思い通りにならないこと
右に掲げた俳句と下記の短歌は青山町の?津百合子さんが新潟日報読者文芸欄に投稿された作品です。1月から3月にかけてのものです。ご主人を思うやさしさから、次第に共に前を向いて、冬の寒さから抜け出て、ちょうど今の陽気の笑顔が見えて来るようです。
註)右の俳句は2月19日 新潟日報読者文芸欄より
以下も新潟日報読者文芸欄よりです;
1月22日:思ひがけぬ友より荷物届きけり夫の病ひを気遣ふ文添へ
3月5日:大雪の何のこれしき山古志人(やまこしびと)
3月19日:カーリングのブラシの如くモップ掛け力を込めて拭きて汗ばむ
NHK連ドラ「わろてんか」がもうじき最終回を迎えます。半年間楽しませてもらいました。でもまだ最後まで気がかりのことも残っています。今日27日の放送で「人には痛みや苦しみや辛いことなど思い通りにならないことが多い。だから人に笑いが授かったのです。だからそんなときこそ笑うんです。」と、家族が戦地にかり出されて笑顔が絶えた疎開先のおじいさんに、主人公が話す場面がありました。
そうは言っても本当に辛いときにはやはり沈んだ顔になります。これが周りの人まで落ち込ませてしまうのです。また、私事で恐縮ですが、3月中頃に右下肢静脈瘤の手術を受けました。若い頃から静脈が浮き上がっていて短パンツになると目立って嫌だと思っていました。加齢とともにいずれは手術をしなければならないので思い切りました。お医者様もすぐに歩けるから大丈夫だといわれたのですが、手術から2週間。皮下出血が広がり痛みが引きません。すると心配顔になります。自然な笑顔が出てきません。これが周りにまで及んでいるのです。辛いのは自分だけではない、周りをみんな巻き込んでいるのだと何度もハッとしました。そんな中で保育園の卒園式やお彼岸会で嬉しい時間、喜びの時間をたくさんもらいました。今日になって痛みが回復の方向に向かっていると実感できるようになっています。やはりおかげさまです。合掌
写真:春お彼岸家族礼拝の集合写真です。