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158号 感話:君たちはどう生きるか [ 平成30年1月29日 ]

数年に一度の寒波

158号 感話:君たちはどう生きるか  1月24日:日中も氷点下の真冬日。午後に車を運転しました。前方の視界だけでなく、ドアウインドウもサイドミラーもはっきり見えない中でやっと戻ってきました。あと3日くらい続くという。そんな中白根山噴火の模様が繰り返し放映されています。噴石降り注ぐゲレンデを下山しているスキーヤーの様子は「生きた心地がしなかった」と恐怖を語っていました。天気も火山も地震も気象庁です。噴火は予兆もなかったといいます。自然と向き合っていると人間がちっぽけに見えてきて、分からないことの大きさに気づかされます。
 1月28日:そして4日が経って、寒波は予報通りでしたが、寒さの感覚は私の予想を超えていました


愛玩動物共同墓を建立します

158号 感話:君たちはどう生きるか  今年は戌(いぬ)年です。愛玩動物といえばイヌとネコがその代表格です。一緒に暮らした人ならわかります、家族同様の愛情が湧き、愛着が生じます。我が家のとらこはたびたびてらだよりにも登場させてもらっていますが、とらこを題材にすると感想の声が増えます。
 正月の託念寺門徒年始総会の折に今年の事業計画として愛玩動物共同墓建立を提案し、了承されました。前川保育園の子どもたちには日頃から生きもののいのちを大切にすることも伝えています。保護者から動物のお墓はないのですかと尋ねられたことがきっかけでした。青山新町およびドリームタウン前川東に若い世代の入居者が増えています。この地域の方々と仏縁ができればいいと思います。
 建立場所は、鐘楼と参道をはさんで向かい側、親鸞聖人像の東側に予定しています。雪解けを待って工事を始め4月19日のお取越し報恩講までに竣工したいと思っています。利用規程を定め広く利用いただきたいと考えています。どうぞ口コミでもお伝えください。


サイノカミ

158号 感話:君たちはどう生きるか  地域の伝統行事サイノカミが1月14日(日)に行われました。1週間前までは雪がほとんどなく、サイノカミのために雪が降って欲しいとなんともわがままな願いを抱きました。サイノカミにミカン撒きが行われますが、雪がない年は手配りになりました。そればかりでなくやはり雪の上でこそ小正月の行事に相応しい景色となります。その願いが通じたかのように11日朝には大雪となって雪かき作業しながらもこのときは内心ホッとしていました。そして当日は穏やかな天気になりました。これも数年に一度のことです。写真は前島町の様子です。大勢の方々が協力して出来上がっています。よく燃えました。まっすぐ立ち上る炎に歓声をあげ、時折かかる火の粉を払いながら、町内の絆と和を願いました。


感話 君たちはどう生きるか

158号 感話:君たちはどう生きるか  標題は、今話題になっている漫画の書名です(原作 吉野源三郎 漫画 羽賀翔一 マガジンハウス刊)。原作は80年前に書かれた児童文学書で、名作と評価されていたものだそうですが、それを漫画にして現代に蘇らせたものです。小学校高学年の読書タイムに本書が読まれているとテレビのニュース番組で取り上げられ、急ぎ購入しました。
 主人公コペル君はコペルニクスからとられた愛称です。私たちは自分を中心にものを考え生活しています。ですから地球が自転し、かつ太陽の周りを1年かけて回っていると、コペルニクスが唱えたとき人々は信じ難かったに違いありません。中学生のコペル君もまたあるとき、世の中というのは、一人一人が分子のような要素となってそれぞれが作用しながら大きな流れを作っているんだ、また、それは一人一人はちっぽけでも世の中の流れを作っている大切な一部なんだと気づきます。
 リニューアルされた本書は、コペル君が中学校で遭遇する出来事が漫画で示されます。漫画はアニメ映画を見るような感覚でさまざまな出来事とそのときの心の動揺を伝えてくれます。コペル君のおじさんはそんなコペル君に「おじさんノート」で一緒に考えていくのです。あるときは友だちの貧しい生活から人間の値打ちについて、あるときはナポレオンの伝記から、真に偉大な人間とはどんな人であるかを考えます。多感なコペル君は友だちが受けたいじめにも直面します。その友だちを自分たちで絶対守ると仲間と誓い合ったのに、いじめの現場にいながらひとり逃げてしまいました。コペル君は、友だちを裏切ったことに取り返しのつかない後悔の念を募らせ自分を責め、寝込んでしまいます。


158号 感話:君たちはどう生きるか  おじさんはノートの中で語りかけます;
 私たちは健康なとき内臓の役割に気づくこともなく忘れている。でも苦痛を感じ、それによってからだの故障を知るのは、からだが正常の状態にないことを、苦痛が僕たちに知らせてくれるということだ。人間が本来、人間同士調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。お互いに愛しあい、好意をつくしあって生きてゆくべきものなのに、憎しみあったり、敵対しあったりしてしまうと、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。人間がこういう苦痛を覚えたりするということは、人間がもともと憎しみあったり敵対しあったりすべきものではないからだ。
 コペル少年の苦々しい行為への悲しみ、それでも懸命にまじめに生きていこうとする純粋さに惹かれます。私自身の人生を振り返れば、数々の恥ずべき行為や過ちを繰り返し、そのたびに落ち込んだりしてきましたが、恥ずべき行為と自覚することの意味を教えられたような気持ちになりました。合掌


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