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149号 感話:母の言葉 [ 平成29年5月9日 ]

葉桜から新緑の季節へ

149号 感話:母の言葉 「葉桜に なっても好きな 妻のこと」 
 すてきな俳句でしょう。私のことをよく知っている人には「お前さんが詠んだのか?なかなかやるじゃん」とでも言われそうです。もちろん私はこんなすてきな句はつくれません。でも大いに共感しつつ羨ましく思います。地蔵堂組の山宮貞資さんの作品です。お正月号で今年の干支「酉」の切り絵をご紹介した私の法友(朋友:こころの友)であります。
 さくらの花は綺麗ですがその後の新緑もいいなと思います。春になると桜の開花がクローズアップされて、散るのも早くて残念にも思いますが、実はこの頃から次々にいろんな花が咲いて気温も上昇します。ですから今は一番気持ちよくお花見ができる季節なのだと思います。


花まつり(灌仏会)

149号 感話:母の言葉 4月8日朝食時にテレビを見ていると物知りタレントの林修さんが「灌仏会」の文字パネルを持って「今日は何の日か分かりますか」と番組スタッフに尋ねていました。「クリスマスはみんな知っているのにどうしてこの日のことは知らないのですか」と嘆くようにつぶやきました。そして「花まつり」の言葉の由来や誕生して7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言された意味を分かりやすく説明していました。こんな風に取り上げてもらうのはありがたいことですね。
 保育園の子どもたちは4月に入って初めてのおみ堂行事が花まつりですから、「お釈迦さまと同じようにみんなも誰に代わってもらうこともできない尊いいのちをもらっているのですよ」とお話しするよい機会となっています。年長児が一人ひとつずつ大きな手作りお花をお供えしてくれました。しばらくの間おみ堂に飾らせてもらっています。ちなみに5月5日(子どもの日)は長岡市仏教会の花まつりがあります。今年は我が家の孫二人(埼玉在住)もお稚児様となって参加することになりました。私にとっては、にわかに花まつりが待ち遠しくなっています。


お取越し報恩講の参拝御礼

149号 感話:母の言葉  前日からの風が収まらず、見頃になったさくらが花びらを散らせ、五色の仏旗が音を立ててはためいていました。そんな中でしたが、大勢のお参りをいただいて法要が勤まりました。
 お取越し報恩講のご法話は雲外寺様真敷祐孝先生でした。2年前の御寺院掲示板に書かれた「疑いが 晴れたカルテに 虹が差す」の俳句から、昨年御往生を遂げられた前住様の思い出を語られました。「病気になったからこそ見えてくる世界がある。長岡日赤病院の東病棟に入院し、東山から差し込む朝日にこれまで感動することはなかったけれど、癌という病気になって今日一日のいのちの尊さに気がついた。今日も目が覚めた。今日という日に出遇うことができたと思えるようになった」と。1年前にこの場所でご法話をいただいたときの前住様のお姿を思い起こしながらご聴聞させていただきました。「私たちは仏さまにさせてもらう道を歩んでいるのです。限りあるいのちだからこそ、有り難かったと言えるいのちを自分を尽くして生ききらなければなりませんね」 前住様のお話しがお声と共に思い出されます。


感話:母の言葉

149号 感話:母の言葉  母が介護施設に入所してちょうど4年が経ちました。4年前転倒し圧迫骨折をして歩行ができなくなりました。同時に膀胱炎が見つかり尿管カテーテルを装着することにもなりました。ちょうど4年前のお取越し報恩講の前日のことでした。この4年間多くの時間をベッドの上で過ごす生活になりましたが、大きな病気もせず、床ずれもなく、コミュニケーションはしっかりとれる状態で現在に至っています。施設の方々のお世話に頭が下がる思いでいます。
 そんな母が今年になって二回大きく体調を崩しました。一回目は施設内でインフルエンザが流行して三週間近く家族の面会もできなくなったときです。インフルエンザ感染ではなかったのですが、元気を失い食事ができなくなって病院で点滴を受けました。二回目は弟がドイツから見舞ってくれ施設でのフルートミニライブを終えて帰って数日後、今度は肺炎を起こし10日ほど入院することになりました。この退院がお取越し報恩講の前日でありました。
お取越しを終えて心配しながら母を訪ねるとちょうど夕ご飯の時間でした。ゆっくり食事介助をして八割方食べ安堵しました。その食事中ポツリと「吉子さんはどうしたの」と母から質問。「今日お取越しがあった。強風が吹いたけど無事終わった。吉子は歯が痛いと言って朝から何も食べられず、今歯医者に行った。」と答えました。そのときはそれ以上の会話はなかったのですが、私が食事介助を終えて「じゃ、帰りますよ」と言うと、「吉子さんを大事にしてね」と言葉を返してくれました。とても意外なひと言だったので「ありがとう 喜ぶよ」と返答して別れました。こんな言葉が人を嬉しい気持ちにさせてくれるのです。翌日も夕食の世話ができるように出かけました。母に会って母からの第一声は「吉子さんどうしたね?」でした。「歯医者さんで神経も抜いてもらったので食事ができるようになったよ」と返答しました。自分の食事もままならないときに発した母のことばはどうしても記憶に残しておかなければと思いました。


149号 感話:母の言葉  もうひとつ私と母との会話を紹介します。これは1年も前のことです。母はしきりに時計に目をやりながら「お前が来ると、この時計が早く進む。大嫌いらて。もう10分経った。もう10分経った。すぐに30分が過ぎる。」こんなにして自分を待ってくれている人がいる。この年になってもなお、こんなことばで私を支えてくれているのかと感謝。 ・・・・・身内のことばかりでごめんなさい・・・・・ 合掌


写真:4月7日参道の一本松とお別れをしました。永い間ありがとう(樹齢80歳)。


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