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137号:感話 行動様式の宗教性 [ 平成28年5月2日 ]

お取越し報恩講・前住職7回忌法要の御礼

137号:感話 行動様式の宗教性 4月19日はよい天気に恵まれました。2日前には強風が吹いて枝折れの被害もあったようでしたが、翌日には収まって五色仏旗の幕張りもいただいてお取越しの雰囲気が整いました。
 今年は前住職の7回忌を併せてお勤めしましたので、ご法話には父との交流が深かった真敷祐弘先生にお願いいたしました。私が先生からお聞きしたいと思っていたことが見抜かれたような内容でした。


137号:感話 行動様式の宗教性  往時、託念寺恵以真会と新潟の万栄寺様仏教壮年会が活発に交流していました。その宿泊研修会でのエピソードです。懇親会が終わってお二人に用意された寝室にもどったとき父からもうちょっと吞もうと語り始めたそうです。父が日本兵玉砕の地、硫黄島から最後の交代要員輸送機によって帰還したときの父の慚愧(ざんぎ)の思いです。父が残したアルバムには「後ろ髪を引かれる思いで復帰した」とありますが、交代要員のリストに自分の名前があり、名前を呼ばれたとき、内心喜びを禁じ得なかった。父は肋膜炎を患って帰還後は久里浜の結核療養所に入っています。とはいえ、戦局が刻々と悪化していて自分の代わりに残された人たちのこの先を思えば「後ろ髪を引かれる思い」もまたうそ偽りのない気持ちだったに違いありません。戦争が終わってからも、あの輸送機に乗ったときのことを父は何度も思い起こしたはずです。でも思い出すたびに思い出すまいと自分に言い聞かせていたかも知れません。ましてやそれを口にすることは家族にすらできなかったのではないでしょうか。


137号:感話 行動様式の宗教性  真敷先生は何度も私を振り向かれ、ご家族にも語られなかったことだと思います、とおっしゃいました。口にした途端に真実のことばにならないことを父は知っていたのだろうと思います。真敷先生は、前住さんが教え子のような若造の私にどうしてこんな事を話してくださったのだろうともおっしゃいました。父の涙を見たのはこのときだけですと。
 父は真敷先生に自分の思いを託したのでしょう。真敷先生がいつか私たち家族に、また、いつも戦争というと飛行機乗りのかっこよかった話しかしなかった中学校の教え子たちに伝えてくださると願って。戦争を終えた2年後父は母と結婚しました。その婚前旅行の写真に「平和が訪れた。生きてゐる。生きてゐる。」と添え書きしています。そして「ただ平和であること」がどれほどの喜びであるかを伝えています。
 真敷先生ありがとうございました。


 附記 前住職(恵真院釋晃凢)七回忌法要に寄せて

137号:感話 行動様式の宗教性  昨年は戦後70年の年でした。父の思い出を語ろうとすると戦争に行ったこと、零戦に乗っていたことが欠かせません。私が子どもの頃、飛行機乗りだったことを自慢げに何度も話してくれました。それはいつも上機嫌の時でした。飛行機に乗るときに巻いていた絹製のマフラーを持ち出して見せてくれたこともありました。
 父が晩年、80歳を過ぎた頃、摂田屋の光福寺様で宮内地区戦没者追悼法要で法話を頼まれたことがありました。戦争の思い出を語ったのだと思いますが、法話のあと質問があり、法話の内容を批判されたようでした。私は直接聞いていないのですが、質問者に責められたと捉えたようでたいそう気にしていました。当時老人性難聴が進んでいて正確に聞き取れなかったのでうまく答えることができなかったことも本人は不本意だったのでしょう。そのことがあってからは追悼法要には参加せず、公のところで戦争を話しをしなくなりました。
 私は、父にとって戦争とは何だったのか、父は戦争の辛い思い出をほとんど話そうとせず、零戦に乗っていてかっこよかったところだけを敢えて言おうとしていたのはどうしてだったのか、とときどき思います。
 父は写真が好きでアルバムがたくさん残されています。その中で最も古い一冊は、硫黄島で玉砕した戦友、特攻隊で戦死した仲間のこと、そして戦後の平和が訪れた喜びが綴られています。


感話 行動様式の宗教性

137号:感話 行動様式の宗教性 4月のNHK教育テレビで「100分DE名著 歎異抄」を放映していました。最終回の放送で「日本人は無宗教と答える人が60%に達し、先進国と言われる国にあっては特異な数字です」と釈徹宗さんが言われると、進行役の伊集院光さんは、「私も無宗教と答えますけれど、おむすびを足で踏めといわれてもできません。これ、ひょっとして宗教的な背景があってのことでしょうか。」とご自身の経験を話されました。私も「そうそう」と相づちを打ちながら聞いていました。釈さんは「行動様式に宗教がある」と説明されました。かなり前のことですが、真敷祐弘先生のご法話を思い出していました。北海道にご布教に行かれて出会われたおばあさんのお話です。中学生になってちょっと荒れていたお孫さんが「ご飯粒に仏なんかあるものか」と足でご飯を踏みつぶしたのです。おばあさんは悲しくて涙ながらに切なさを訴えられたのだそうです。でも私はきっとその中学生は、今頃若き日のことを思い出して伊集院光さんのお話しに肯かれているのではないかと想像します。私たちは意識しなくともさまざまな育ちや出会いの中で宗教的な情操が育まれていくのだと思います。
 写真はお取越しの一コマです。当院が撮影して私に渡してくれました。合掌されている姿に引き込まれます。お念仏の声といい、合掌のお姿といい、知らず知らずにお育てに会っているのです。合掌


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