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130号 感話:トラコと孫の物語 [ 平成27年10月8日 ]

コスモス

130号 感話:トラコと孫の物語  コスモスがあちらこちらに咲いています。「秋桜」とも書くように日本に暮らすものにとっては秋を感じさせてくれる花です。宮栄にお住まいの小林秋雄さんが毎年この時期に盆栽を届けてくださいます。可憐な花に気持ちが和みます。
 秋はお米や果物が美味しい時期です。新米はご飯を炊いているときから香りが違います。脂ののったサンマを焼いて大根おろしをちょっと添えそこに醤油をかけて、炊きたてのご飯と一緒に食べる。最高です。「食べもののいのちをもらって有り難うございました」と心から手を合わせたくなります。


秋のお彼岸 家族礼拝の日

130号 感話:トラコと孫の物語 9月23日(秋分の日)託念寺本堂にて開催いたしました。
1.おつとめ 「しんじんのうた」
2.平和の心を未来へ 8月1日を忘れない DVD30分の上映
  長岡市立南中学校 3学年平和劇発表会(H24.5.16)から
3.お茶タイム  お彼岸最中
4.梵鐘の撞き納め

 長岡市立南中学校の平和劇をDVDで視聴いただきました。
 夏の暁天法座で前半部分の上映を行い、このたび後編という形でした。中学生が熱心に取り組み心から平和を訴えたメッセージは参拝された多くの方々に伝わったと思います。


連研の話し合い

130号 感話:トラコと孫の物語  元上組の連研は月に一回組内の御寺院を回りながら開催されています。9月の研修テーマは「老いて亡くなることがわかっていても、受け入れられません」でした。担当の圓光寺ご住職から問題提起をいただいたあと「死への不安」「家族や身近な方の死を通して感じたこと」などについて話し合いました。「死に至るまでにどんな痛み・苦しみを味わうことになるのだろうか」「親を看取った体験から死ぬこと自体は怖くない」「自分の死よりも連れ合いや子どもなど大事な人を亡くしたつらさの方が大きい」「連れ合いが生きているときは仲良くもなかったのに、去年急になくなってしまって今は夜になると一人でいることが寂しい」「姉が亡くなったとき、最後まで自分の病気が分からないままでいて、家族に最後の言葉を残せないままなくなった。いつそのときが訪れても有り難うと言える人生を心がけたい」「年齢を重ねるにしたがい、毎日が大切で、何もしないでいるとモッタイナイと思う」などなど。お話に頷きながら、同年代のお仲間とこのような話のできる場があることを有り難いと思いました。お仲間になりませんか。

 写真は、お彼岸会の「鐘つき納め」です。
 春の彼岸から半年間、夕方6時に鐘つきすると、保育園の子どもたちが一緒に撞いてくれました。ありがとう。


「助け合う風土」 月刊大乗10月号より

130号 感話:トラコと孫の物語  今年の4月より本願寺出版社刊「大乗」にエッセイを連載させてもらっています。10月号に標題のタイトルで「前川のあゆみ」のことを書きました。「大乗」と「前川のあゆみ」のPRを兼ねて、抜粋いたします;
 私たちの住む郷土は前川といいます。名前が示すように川と共に歩んできた歴史です。信濃川が大地を作り今は米どころ新潟平野になっています。昨年「親鸞となむの大地展」が開催され、信濃川の洪水と闘いながらたゆまず大地を開墾したご門徒の絆、連帯性が確認できました。越後の人は我慢強く、助け合うという風土があります。前川もまさにこの風土そのままに生活を営んできました。集落が四つあり、400年以上前から、それぞれの集落が共同体として、互いに切磋琢磨し、助け合い、自然災害だけでなく外からの圧力とも闘ってきました。
集落には人が協力できるようにする仕組みがたくさんありました。酒盛りは神社の行事であり、集落の行事でありました。男衆は酒を飲み本音で語り、時にはケンカもしたでしょう。寺で行ったお講も女衆が朝早くに野菜などを持ち寄ってご飯の準備をし、寺参りするお年寄りに振る舞いました。終われば世間話が楽しみであったでしょう。
 人は助け合うことでしか生きられません。それは今でも同じです。美しく色づいた田んぼを見て、自然と共存すること、人が協力し合うことなど、先人たちが大事にしてきたことを思い、これから先も続いてほしいと願いました。


感話 トラコと孫の物語

130号 感話:トラコと孫の物語  保育園では、子どもたちと一緒に唱和する「4つのおやくそく」の3番目に「わたくしたちは、お話をよく聞きます」を掲げています。 実のところ子どもたちよりも私たちの方が課題とすべきことです。話をよく聞くためには、相手を信頼することが前提になります。
 子どもは「聞く」とき、相手を理解しようとして聞きます。相手の心を読み取ろうとします。うわべの言葉よりも、自分のことをどう思っているかが、子どもの関心事です。子どもはすごい力で私たちの心を読み取ろうとしています。自分の心を言葉でごまかそうとしても心が見抜かれます。私たちは子どもの言葉に心から耳を傾け、子どもの心(思い)を聞こうとしているでしょうか。
 連休中に孫たちを預かっていました。小3になる長男ユウトは猫の毛アレルギーで、乳児の頃から敏感に反応が現れました。私たちも愛猫トラコに近づけないように注意をし、本人も目がかゆくなったりするのでトラコを嫌っていました。トラコもそれを知っていて孫の滞在中はストレスをためている様子が見て取れます。それが、小学校に入る頃から少し改善してきていると感じていたのですが、今回劇的な変化がありました。まずユウトがトラコと仲良しになりたいと接近したのです。 私とトラコとのスキンシップをうらやましく思い、自分もそうなりたいと心から思ったようです。さまざまに接近を試み、自分から心を伝えようとしたのでしょう。ついに自分の手からえさをやれるまでになりました。トラコの方も変化しました。これまでユウトが近づくとはっきり「来るな」という意思表示をしたのですが、3日間滞在の最終日には安心して寄ってくるようになりました。


 前々住職の法名は「至心院釋顕昭」といいます。「至心」とは「心から」という意味です。心からの思いがネコとの間にも確実に伝わり合ったのです。気がつくと猫の毛アレルギーが消えていて、一回も薬も使わずに済みました。アレルギーが無くなったから、ユウトに心の変化が生まれたのか、トラコとの仲良し関係が、アレルギー症状を改善させたのか。科学的には何も分かりませんが、トラコと孫の心の通じ合いを目の当たりにした嬉しい出来事でした。 合掌


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