128号 感話:いのち [ 平成27年8月4日 ]
境内草取り 御礼
お盆を前に恵以真会の呼びかけで境内草取りをしていただきました。ちょっと恥ずかしいくらいに伸び放題になっていましたが、早朝からの作業できれいになりました。私が出かけていて皆様にお任せすることになり申し訳ない気持ちです。ご協力くださった方々、ありがとうございました。
感話:いのち
7月はたくさんのいのちのふれ合いがありました。お盆はいのちを考えるときです。いのちを考えることは今どう生きるかを考えることです。元上組さわやか講話会で真敷祐弘先生が語ってくださいました; 「癌の告知について、これまで告知される側のつらさだけしか頭に浮かばなかったけれど、実際に告知してくださる先生に接して、告知する側もつらい思いをされていることに気づきました。こんなところにお医者さまとしての器量が問われるのですね。私はといえば、癌の告知のあとで同年代の旧知のお坊さんから『これからが僧侶としての真価が問われる』と言われました。私たちは仏さまにさせてもらう道を歩んでいるのです。限りあるいのちだからこそ、有り難かったと言えるいのちを自分を尽くして生ききろう。」
真敷先生のお言葉を聞き漏らすまいと暑さを忘れて聞き入っていました。私は、お浄土に往き阿弥陀さまに迎えられたときに、阿弥陀さまに言い訳をしないでお会いできる生き方をめざしたいと改めて思いました。
安全保障法制法案が衆議院を通過してしまいました。ひたひたと武器を持たなければならない現実が近づいていると恐ろしくなりました。ここに来るまでに何もしてこなかった自分がいました。「相手が仕掛けてきたときに武器を持たないでどう対抗できるのか」「他国に日本を守ってもらっていて、その国が危機にさらされたときに知らん顔ができるか」「戦争への抑止力として武力をもつことが必要」などなど。それぞれもっともらしい理屈に聞こえますが、武力を持ったら相手はもっと武力を拡充するのです。
日曜法座のお茶の席で、戦争経験世代の大先輩が「戦争とはどういうことか分かりますか」と尋ねられました。「戦争は殺し合いをすることなんだよ。武器を持つことは人を殺してもいいということなんだ。」普段にこやかにお話しされるSさんが真顔でお話しされました。戦時を経験された方の妥協を許さない言葉でした。
あの戦争の最中、日本がどんな状態になったのか。私もよく知りません。しかし長岡が焼夷弾で焼け野原になり、1400人余りの方がなくなり、また戦死された方は身近なところにたくさんおられます。私は、70年もの間戦争がなかったお陰で、戦争の本当の恐怖を知らないで過ごすことができました。戦争に負けたお陰で平和憲法ができて、戦場で人を殺さないでここまできました。軍隊にかり出されることもなく、赤紙といわれる召集令状におびえることもなくここまで生きることができました。私たちの子どもにも孫にもそんな恐怖を感じさせてはいけません。私たちの務めです。
札幌で本願寺派保育連盟まことの保育全国大会があり、参加してきました。二階堂和美さんのコンサートで「いのちの記憶」という歌にであいました。二階堂さんは広島県の本願寺派ご寺院のお坊さんでもあります。まさに歌うお坊さんです。歌の力はすごいです。歌に込められたお念仏の思いが伝わってきました。
なぜだか分かりませんが、この歌を一緒に歌ったら、人はひとりではない。人との触れあいを求めて、思いやりを忘れないで生きていける気がしてきます。お盆の時にこの曲を流します。聞いてください。
二階堂さんがコンサートの中できっぱりとおっしゃっいました;「武力は戦争の抑止力にはなりません。武力を持たないこと、たとえ道は険しくとも、私たちはそこを目標に掲げ続けなければなりません」と。たとえ夫婦であっても、親子であってもわかり合うこと、認め合うことは、容易ではありません。だからこそわかり合おうとする努力をし続けていくのです。国と国との間も同じです。武器を持たないで、わかり合う努力をすること、これが私たちの務めです。合掌
元上組仏壮仏婦研修旅行
7月23日、24日と富山を中心とした研修旅行に行ってきました。
真宗大谷派城端別院善徳寺 棟方志功ゆかりの寺院光徳寺(蓮如聖人御旧跡) 国宝瑞龍寺(曹洞宗)信仰の霊場立山を訪ねてきました。ゆく先々で御法話あり、映画上映あり、棟方志功の作品あり、記憶に残る旅でした。