127号 感話:人に恵まれた笑顔 [ 平成27年7月6日 ]
元上組親鸞聖人750回大遠忌「ほうおんのつどい」
リリックホールシアターがいっぱいになりました。元上組若手僧侶が企画担当し、準備を重ねて2年。大成功の3時間でした。寺の本堂で行う法要と違い、舞台の上で荘厳、そして読経は新鮮でした。絵物語「正信偈」のチームワークは元上組の宝物、見事でした。
スローガンが「あらたなはじまり」と掲げられ、まさに寺にとっても、また私自身にとっても当てはめて考えていかなければならない事柄でした。釈徹宗先生のご法話にもそのヒントがたくさんありました。落語「コンニャク問答」は、大まじめのお坊さんとしたたかに生きる町人との皮肉を込めた軽妙なやりとりに思わず引き込まれました。釈先生は漫画タッチのお絵かきもお上手で落語法話を楽しませてもらいました。そう肩肘を張らずに気軽にご聴聞することも大事だよ。仏法はちまたで暮らす人々の中で引き継がれている文化でもあるのだと。
託念寺からはスタッフとしても実行委員の裏方として多くの方が協力されました。きっとご参加の多くの方々が、心が和んだねと感じられたのではないでしょうか。笑顔と笑顔がそれを物語っていました。
恵以真会研修旅行 「あれから四年 東北の被災地を訪ねる旅」
ミステリーツアーのようなちょっとハラハラする行程だったのですが、仙台市の専能寺様、南三陸町防災庁舎では研修旅行の目的が果たせました。「つながるご縁」を感じる旅でした。専能寺様では4年を振り返るDVDを視聴させていただきながらご住職のお話をお聞きしました。これまでの復興に当初から北海道の僧侶ボランティアが活躍されました。そのお顔の中に私たちの知っている方が何人もおられました。昨年秋に新潟教区仏婦大会で素晴らしい朗読劇や歌を披露してくださった「チームいちばん星」の皆さんです。そのメンバーが大津波のあとにいち早く駆けつけて気が遠くなるようながれきの片付けを手伝われたのです。身内が亡くなられ、家を失われた方々がどんなにか励まされたことでしょう。49日忌、100か日、1周忌3周忌4周忌の法要のたびに参列されている姿がありました。私どもの当院もその時期石巻の称法寺様のボランティアに参加していて北海道のこのメンバーとも顔見知りになっていました。私も今はその顔見知りに加えてもらっています。人はひとりぼっちではないんだと思えば、なんとか前向きになれます。今回私たちは、2年前にご住職がおっしゃった「忘れないでもらえることが嬉しい」の言葉を思い出して、再訪問を実現しました。
バスの中で、「私と小鳥と鈴と」を手話歌でご披露しようと提案し、にわか特訓を致しました。専能寺様の本堂でも練習して、みんなが心を合わせて「みんなちがって みんないい」をお届けしてきました。そしておいとました直後思いがけない出来事が。バスが出発して信号待ちをして訪問の余韻に浸っていると、車窓になんと境内墓地から一生懸命に手を振ってくださっているご住職夫妻の姿が目に入りました。私たちも再び車内で立ち上がって手を振り返しました。感動の一コマでした。
感話 人に恵まれた笑顔
わが家のトラコはもうじき15歳になります。15年も一緒に生活するとトラコの行動特性がかなり分かり、泣き声で何を意図しているのか私たちに伝わります。NHKBSで「岩合光昭の世界ネコ歩き」をときどき見ます。世界各地のネコが登場して、ネコならではの仕草や表情が写し出されます。ネコ好きの人なら「そうそう」といって頷くことが多いと思います。世界中のネコがネコらしい特性を生まれながらにもっているのです。ネコもまた、長い間人間と共に暮らしてきているので、人間の特性を理解しているに違いありません。そんなネコでも、人間のような笑顔が作れません。ネコの顔や泣き声から機嫌がいいとか満足しているとか、元気がないとかは分かりますが、笑顔が作れたらもっと楽しくなるのにと思います。
釈徹宗先生は「ほうおんのつどい」のご法話で、今世界にのこっている人類は「ホモサピエンス」だけで、ネアンデルタール人もピテカントロプスも北京原人もすべて絶滅したとお話しされました。その数日後に保育連盟の全国セミナーで講演された講師のお話も同じ出だしでした。こういう偶然はありますね。ネアンデルタール人は体格はホモサピエンス以上で知能は同等くらいだったといわれています。 それなのにホモサピエンスが生き残り今の繁栄を築いたのは何故か。それはホモサピエンスには、社会を作って助け合おうとする遺伝子があるからだというのです。「笑顔を作る」遺伝子、「分け与えようとする」遺伝子は、現代人類が滅びずに繁栄した重要な要因になっています。笑顔は何のために作るのでしょうか。人を喜ばすためです。赤ちゃんの振りまく笑顔がまわりを幸せにしてくれます。
仏教では、私たちの煩悩の中でも「欲と怒りと愚かさ」を三毒と称して戒めています。煩悩の側面から見ると際限のない欲望や身勝手さが強調されますが、一方で「共に喜ぶ」「悲しみに寄り添う」気持ちは、人間が本来もっている大切な特性であることに気づかされます。仏さまのお慈悲は、「衆生苦悩 我苦悩 衆生安楽 我安楽」で表現されます。私たち現世を生きるものには遠く及ばない世界のように語られるのですが、私たちにはこの仏心がもともと遺伝子として備わっているので、仏さまのお慈悲のお話しに耳を傾けることができるのではないでしょうか。嬉しいときには笑顔が自然にこぼれ、仲間がいることの幸せを感じます。人に恵まれた笑顔です。「和顔施(わげんせ)」。笑顔の施しは無財でできるお布施です。合掌
写真は「ほうおんのつどい」 絵物語正信偈の朗読(上)
閉会の挨拶(下)