123号 感話:罰(ばち)が当たる [ 平成27年3月2日 ]
雪どけの音を聞いて嬉しくなります
3月は春近しを感じます。長かった寒い季節がようやく終わりに近づいてきました。朝洗顔を水道の冷たい水でしています。まず手を洗う時が冷たいですがその手が顔に接すると顔から温もりをもらいます。昔は温水がなかったけれど、井戸水は温かく感じました。
今前川の郷土史編集作業を行っています。今夏の刊行をめざしています。農作業の一年を記した章では機械化以前の様子が記されています。私は3月を喜んで迎えますが、農作業の忙しさを控えた当時の方々はどんな思いだったのでしょう。雪解けを待って裸足で田んぼにはいらなければならないつらさは想像できません。早春賦の3番はこんな歌詞です;「春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急(せ)かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か」。
写真は雪像「ひな壇」です。
本堂屋根の雪はひな壇に大変身。保育園の片桐さんが子ども達を楽しませてくださいます。感謝。
文明の利器
私の40年来の友人が65歳の退職を控え最後の仕事とケニアに向かいました。JICA(国際協力機構)が行っている教育支援です。2月下旬の出発と聞いていたので安全に気をつけるよう伝えたくてメールをしました。数時間後「昨日ナイロビに着きました。安全のための注意喚起の文章は、みていると気持ちが悪くなるくらいたくさん貼られています。」そして翌日、最初の学校訪問を終えてまたメール。
JICA専用車でドア・ツー・ドアとはいえ無事に戻ってきて欲しいと思いました。それにしてもすごい時代です。家族はある意味で安心ですが、「知らせがないのはよい知らせ」はもう死語ですね。
感話 罰(ばち)が当たる
元上組で月に一度「み教えに学ぶ会」を開催しています。浄土真宗のみ教えに関するテキストを読み、ご講師から補足のお話を聞き、参加者で感想やテキストの内容から多少離れても日頃感じている思いなどを話し合っています。2月の例会で「六道輪廻(りんね)」「地獄」のことが話題になりました。親鸞聖人はご自身のことを「地獄行きが決まっている」と歎異抄の中でおっしゃっていますが、念仏ひとつでお浄土に往けるというなら殊更に地獄のことを持ち出さなければいいのではないかとお一人が発言されました。その方に「あなたは地獄はあると思いますか」と質問がでると、「地獄はあると思っています」とお答えになり、他の方から「地獄はなければならん」との発言もありました。
ちょうど読みつつあるご本「法然を読む」(阿満利麿著 角川ソフィア文庫)に関連する内容がありましたので紹介します;現代の日本人は輪廻に否定的であるが、つい最近までその考え方は生きていた。それは無知だったからではない。人間存在があまりに不可解で不条理に満ちていたからである。例えば正直に一生懸命働いてもいつまでも貧困から免れることができないとか、大悪人ほどこの世を栄耀栄華(えいようえいが)に生きているとか、不条理があまりに多すぎる。これをどのように納得すればよいのか。「輪廻」はこうした思いに対してひとつの回答を与えてきたのではないのか。人間存在の不安、人生の不条理を克服するために輪廻が必要であったというのです。
保育園の子ども達に毎年「くもの糸」のお話しをしています。2月の涅槃会行事にDVDを見てもらっています。くもの糸にも地獄が出てきます。悪いことをしたらその報いとして地獄に墜ちるのです。お盆に語る餓鬼道(がきどう)に墜ちて苦しむ目連尊者のお母さんのお話も、多くの日本人が頷きながら聞いてきました。私たちが生きている世界に、誰もが納得する道理が必要だったのです。芥川龍之介のことばを借りるなら「無慈悲な心は、その心相当な罰をうけて、地獄へ落ちる」ことになるのです。これが社会を維持するための道理であるのです。そうはいっても単純なことではなく、目に見えることばかりではなく、短期間に結果が見えてくるものではないのです。親鸞聖人が深く内省された「地獄に墜ちるしかない凡夫」の自覚は、人生の不条理を超える道筋だったのではないでしょうか。
因果の道理は、私たちが一生懸命まじめに生きていくために、子どもの頃からしっかり伝えなければならない事柄です。そんな絵本にめぐりあいました。「となりのたぬき」(せなけいこ作・絵 すずき出版刊)です。どんなところにいても気の合うひともいれば、どうしても好きになれない人もいます。おもしろくないことが起きればこてんぱんに仕返ししたくなります。主人公のウサギはとなりのたぬきが大嫌いでした。お月様にまで助けを求めて何とかあいつをやっつけて欲しいと頼みます。お月様は願いを聞き入れましたが、その前に1ヶ月間だけたぬきさんに親切にしてやって欲しいといいました。ウサギは1ヵ月だけならばとしぶしぶ承知します。ウサギが親切をはじめると次第にたぬきも気持ちが変化してきました。そして1ヵ月が経ちました。どうなったかは絵本を読んでください。
金子みすゞさんの「こだまでしょうか」の詩を思い出し、気がついてみると、「ののさまは 口では 何にも言わないが ぼくのしたこと知っている 知っている(仏教讃歌:知っている)」と口ずさんでいました。「くもの糸」とは反対の結果も大切な道理であるのです。 合掌
28個の雪だるま
これもまた片桐さんの作品です。卒園児28名一人ひとりのためにと作ってくださいました。子どもたちが目を入れたり服を着せたり帽子をかぶせたりしてくれました。