121号 感話:先達の智慧を伝え守る役割 [ 平成27年1月9日 ]
あけまして おめでとうございます
除夜のかねつきと元旦初参りは雪がかなり強い中、大勢の方にお参りをいただきました。除夜のかねつきは恵以真会の皆さんが準備して下さり、本当にありがたいと思います。大晦日は早めに夕ご飯をいただき、当然お酒も入ります。ゆっくりした気持ちでお酒を召し上がりたいのに、夜中に出かけなければならないとすれば「楽々という気分になれません。昨日も約1時間30分御神酒を振る舞い、階段の足下に気を配り、屋根からの落雪にも注意して無事に終えることができました。
本当に感謝です。
日曜法座終い講
1年を、デジタルカメラで撮った写真をスクリーンに映して、振り返りました。去年の冬はなるほど雪が少なかった。親鸞となむの大地展日帰り旅行に行った。春の彼岸会はフルート演奏、秋の彼岸会はお御堂で体操をと、さまざまに思い出しました。
日曜法座は本当に毎回大勢の皆さんにお参りいただきました。これまでご参加下さってない方も新年を機会にどうぞいらして下さい。年齢や地域の制限はありません。新鮮な風を届けて下さい。日曜日の朝、大きな声でお勤めし、お法(みの)りを聴聞し、お茶タイムとなります。この時間も貴重です。新聞やインターネットでは得られない情報も入ります。語り合いは共に生きるお仲間を作ります。新しくいらしても「おめさん、どちらからきなしたの」と声がかかり、すぐに親しくなりますよ。お待ちしております。
去年はお勤めのあと毎回礼讃文(らいさんもん)を唱和しました;
「人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。 この身今生にむかって度(ど)せずんば、さらにいずれの生にむかってか この身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつるべし」と。日常勤行聖典の2ページにあります。1年間続けるとだいたい諳(そら)んじて言えるようになります。つくづく人間としていのちを恵まれ、仏法に遇わせてもらったご縁を不思議に思い、ありがたいと感じます。
感話 先達の智慧を伝え守る役割
金子みすゞさんの詩に「ばあやのお話」があります。 ばあやのお話
ばあやはあれきり話さない、
あのおはなしは、すきだのに。
「もうきいたよ」といったとき、
ずいぶんさびしい顔してた。
ばあやの瞳には、草山の、
野いばらのはながうつってた。
あのおはなしがなつかしい、
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまって聞いていようもの。
私は子どもの頃に祖父の話をよく聞いた気がします。「もう聞いたよ」と内心何度も思いましたが、結構聞いていました。祖父は、話を聞く私を人前でも褒めてくれたのでそうしたのかも知れません。話しを聞いてもらうことは楽しみなのだと改めて思います。私も同じ話を何度もするような年齢になっています。もうじき孫が来ますが、注意しなければなりませんね。そうはいっても今になって思い返せば祖父の声は耳に残り、いまだにそのことばが思い起こされます。
私どもの方言で子どもの世話をすることを「かたる」といいます。といってもイメージとしては、親が子どもの面倒を見るときにはあまり使わずお年寄りが孫を見ているときのことを表しています。「かたる」はもちろん「語る」です。
日曜法座のお仲間が「代々おくり」というCDを貸して下さいました。「孫達よく聞いて 覚えておくがいい まずは挨拶元気よく 笑顔たやさず・・・・二十歳過ぎたなら 自分の足で歩き 世のため 人のため 働く姿に 誰かが惚れる・・・・孫もいつしか親になり・・・・ひざに抱えている ひ孫が笑う そんな夢みて・・・・世の中 代々おくり」(作詞:いではく)と歌詞が綴られています。金子みすゞさんの歌とともに日曜法座で味わってみましょう。歌詞は、家の有り様が今日変化して、時代錯誤のように響きますが、地域をつくり、つながり合うコミュニティを作ってきた先達の智慧に学ばなければ、輝くはずの個がひとりぼっちの孤になってしまいます。
御堂さん1月号には映画監督河瀬直美さんが語るこんなお話が載っていました(通巻596号2015);
「田舎で映画を撮ったときに、普段は過疎が進んでお年寄りだけの村になっているのに、お盆の季節になると、いったいどこからこれほどの人たちが帰ってこられるのかと思うほど、みんな里帰りをしてきます。ふすまを取っ払った大きな座敷で、親戚中が食べている風景に泣けてきちゃうんです。この暮らしは私たちが失ったものだと思うと、不安に変わるんです。快適な生活の代わりに、守られていたものを失ったのかなと思うんです。・・・失ってしまったかもしれないけれど、まだ忘れていない人たちがたくさんいて、そういう人たちがこの先、それを融合させた生活を取り戻せないかと思うんです。地域社会とかコミュニティという形式でも。昔はお寺さんがそういうものをつないでいたと思います。・・・・一年を通した行事だとかお祭りがあって、みんなをつなぐ大きな役割をしていると思うのですが、どんどん地域の祭りがなくなっているんです。そこに関わるのが面倒だとかテーマパークで遊んでいる方が楽しいというのですが、もう一度祭りを復活させることを私たちの世代がしなければの思いがあります。」
恵以真会の尽力で復活できた盆踊りをはじめとして、寺が少しでもこれからも地域のつながり、ひとのつながり作りに貢献できるようになればと思います。「ともにこころ豊かに」をめざして。合掌