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115号 感話: 遺されたことば [ 平成26年7月7日 ]

暑中お見舞い申し上げます

115号 感話: 遺されたことば  梅雨の後半に入りました。7月に入って九州北部地方で50年に一度という大雨が報じられました。私も北九州に7年ほど住んでおりましたので気に掛かりました。
 長岡では6月は比較的少雨でした。でもこれからが梅雨の本番で本格的な夏の前に大雨が降ります。気をつけなければなりません。自然は災害も引き起こしますが、恵みもまた与えてくれます。写真は境内に咲いたアジサイです。雨にアジサイは似合います。
 目を外に転じますと、心配なニュースが毎日のように飛び込んできます。集団的自衛権の閣議決定は、「どうしてこういう方向に進んでいくのか」「このままズルズルと戦争ができる国になり、気がついたら取り返しがつかないところにいってしまう」などの不安が募ります。
 


初参式 の 御礼

115号 感話: 遺されたことば  6月22日、初参式がありました。恵以真会行事として三年に一度、開催しています。今年は、0歳から6歳までの34人のお子さんが参拝してくださいました。お祝いの挨拶で「初参式のご消息(前ご門主さま)」を朗読いたしました。その中のことば「今 はかり知れない縁あって いのちを受け さらに遇いがたい仏法に遇って、尊い人生を歩み出されました」を味わわせていただきました。
 吉川英治記念館に「あか子よ」と題する歌が展示されているそうです;
 やよあかこ 汝はいづちの旅を経て 私を父とは 生まれ来ませし
 ああ、わが子よ。どんなご縁が積み重なっていたのだ。わたしを父として、生まれてきてくれたとは。
という意味でしょうか。子どもは、自分の意思で人間に生まれてきたのではありません。また、子どもは親を選んだわけでもありませんし、親もまた自分が選んでこの子に出会えたのではありません。不思議であると同時に尊いご縁です。初参式のイベントとして、お子さんをギュッと抱きしめて「だいすきだよ」と言ってもらいました。本堂がほのぼのとした空気に包まれました。


W杯サッカー日本敗退

−キャプテン長谷部誠オフィシャルブログより−
 『ザッケローニ監督の退任が発表されました。
 結果が出なかった時に監督や選手が批判される事は当然の事と思います。しかし、四年前に言葉も文化も全く異なる国に来て、日本という国・日本人の心を理解しようと最大限努力し、その心や文化を尊重し日本を愛してくれた素晴らしい人間性をもった方であった事は、日本人として忘れないでいて欲しいです。  最後に、、、
 コロンビア戦が終わった後、何年も流していなかった涙が自然と流れてきました。30歳にもなって人前で涙を流す事は恥ずかしくもありますので、どうにか堪えようとしました。でも無理でした。それと同時に、自分の感情をコントロール出来なくなるくらいの情熱を注いでいたのだと実感しました。こんな思いは人生の中でそんな多く訪れるものではありません。そんな気持ちにさせてくれたサッカー、そして日本代表チームに感謝してこれからのサッカー人生を歩んでいきます。』

 勝ち負けの世界は厳しいですね。でも勝ち負けを超えたものをいつも見せてもらっています。感謝。


感話  遺されたことば

115号 感話: 遺されたことば  本願寺で法統継承式があり、先だって第24代ご門主さまの「退任の御消息」が発布されました;
 「(在任中の37年間に)国内では、大小の天災、人災が相次ぎ、経済価値が優先された結果心の問題も深刻化しました。世界では、武力紛争、経済格差、気候変動、核物質の拡散など人類の生存に係わる課題が露わになりました。その中で心残りは、浄土真宗に生きる私たちが十分に力を発揮できたとは言えないことです。・・・・」そして最後に「阿弥陀如来の揺るぎない本願力の中に、宗祖聖人のみ教えを仰ぎ、僧侶の務めを果たしたい」と結ばれています。
 


 誰しも人生にはいろんな人との出遇いがあり、何十年経っても忘れないで遺っていることばがあります。そのときの場面がありありとよみがえってきます。今年の2月、私の恩師が亡くなられました。高松鶴吉先生といいます。日本で初めての「総合療育センター」を北九州市で創設され、療育の先駆者的存在でした。私はセンター開設2年目から働かせてもらいました。北九州市はそれまで私には全く縁のないところでしたが、指導教官に紹介されて初めてお会いしたときからここで仕事がしたいと思いました。就職して1年くらいしてからでしょうか。先生を囲んで勉強会をして、何人かで居酒屋に行ったときのことです。いきなり「鷲尾君、ぼくたちがどうしてお金をかけて障がいのある子どもを早期療育しようとしているかわかるかね」と尋ねられました。私はとっさに「早期に療育を始めたら、そうしないよりは長い目で見ると経済的にも費用が抑えられるからではないですか」と答えました。高松先生はがっかりしたような顔で私を見られ、「そうじゃないんだよ」と話し始められました。経済効率で療育事業を行っているのではなく、障がいをもって生きる親子を放っておけないからだよ。重い障がいがあるこどもは生まれてすぐに分かるのに、どうして育てていいか誰も教えてくれない、支えてくれない、親は途方に暮れるのだよ。 ぼくらだってどうすればいいか分かっている訳じゃないけど、いろんな専門家が知恵を出し合い、障がいがある子どもの親同士がともに語り合えば、少なくとも前向きに歩き出せるじゃないか、等々熱く語られたのです。わたしの答えは今でも思い出すと恥ずかしくなります。恥ずかしい思い出ではあるのですが、このときはじめて「そうだったのだ」と強く気づかされたのでした。
 高松先生は、生涯療育の現場に身を置いてお仕事をされました。「いのちの尊さ」「共に生きること」「人に寄り添うこと」を実践され、療育のお仲間と御同朋の歩みをされた方でありました。合掌


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