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104号 感話:戦争の理不尽 [ 平成25年8月4日 ]

お盆、改めて東日本大震災を想う

104号 感話:戦争の理不尽  8月はお盆の季節です。ご家族で寺参り、お墓参りをする機会が多いと思います。里帰りされたご親族の方々と故人を偲びながら昔話に花を咲かせるのもこの時期ならではのことです。お子さん、お嫁さん、お孫さんも交えて、大いに語り合いましょう。
 右の写真は6月29日に恵以真会旅行で訪れた仙台市荒浜地区の現在の様子です。住宅地だった一帯が土台だけを残して未だ放置されたままでした。海岸近くに慰霊碑が建てられ津波で亡くなられた方々の名前と年齢が刻まれていました。ご家族らしきお名前が続いている中に「三歳」の文字が目に入りました。ひとつひとつのお家の中で団らんのときが積み重ねられてきた情景が思い浮かびました。この土台の上にどんな家が建っていたのだろう。どんな家族が住んでおられたのだろう。今はどうされているのだろう。ただ心の中で手を合わせていました。
 恵以真会主催暁天法座の第一日目は、吉原隆さん(前島町)が、写真画像とともに被災地を訪れた様子をご紹介くださいます


新聞小説 サーカスナイト

104号 感話:戦争の理不尽  今、新潟日報によしもとばななさんの小説が連載されています。14日のお話にこんな描写がありました。
 両親が亡くなるときどんなに私のことを強く気にかけてくれたか、それを考えるだけでありがたいと思う。親というものがもっている強い願いがわかっていたらもっと両親に感謝の気持ちが言えたのに。私の感謝する気持ちだけが一方的にどんどん降り積もっていく。
 いろんな人がそうやって、今はいない人に話しかける言葉はきっと目には見えない花になってどこかで咲いていると思う。そんな場所のことを思うだけで、天国ってあるんじゃないかと思える。
 そんな内容でした。よしもとばななさんは天国と表現していますが、私たちはお浄土といいます。

 この小説には毎日挿絵がついています。秋山花さんが書いておられます。秋山さんは、長岡市宮内にある長岡ポスター美術館館長秋山孝さんの娘さんです。まだお若い方ですがとてもすてきな絵です。応援しています。
 右の絵は7月14日の挿絵です(新潟日報)。


新潟親鸞学会からご案内とお願い

104号 感話:戦争の理不尽  来年平成26年4月26日〜6月8日に特別展「親鸞となむの大地」が新潟県立歴史博物館(長岡市関原)にて開催されます。これは親鸞聖人750回大遠忌を記念して新潟県内の浄土真宗寺院が宗派の垣根を越えて取り組んでいる一大イベントです。先般6月6日には今井雅晴先生の記念講演が新潟日報メディアシップで開催され、8月5日(月)には上越市でテレビでもご活躍の寺島実郎さんの講演があります。入場は無料です。参加ご希望の方は住職までお知らせください。車で乗りあわせて行くこともできます。
 また「親鸞となむの大地」新聞特集広告掲載協賛の依頼が下記の通り寺院宛にきております。
 芳名掲載協賛金 
 寺院(護持会、門徒会、聞法会でも可) 1口3万円
 個人 1口5千円
 託念寺では先般の役員会で「託念寺門徒会」の名称で協賛することを決定いたしました。個人で協賛くださる方は住職までお知らせください。なお掲載は10月の予定です。


感話 戦争の理不尽

104号 感話:戦争の理不尽  「お殿さまは まちがってござぇやす」「お殿さまは生きて生き延びてください」「会津は何も悪いことはしていないのにどうして賊軍(ぞくぐん)と呼ばれなければなんねぇのですか」「ご朝廷のため、ご公方さまのために戦って多くのいのちが失われました。会津はなんにも悪くはねぇのです。そのことを証明できる人はお殿さましかいないのです。生き延びて日本津々浦々まで伝えていただきたいのです」
 これは、会津藩主松平容保(かたもり)が徹底抗戦した後に降伏に追いやられ、城内に重臣を集めて;
「この上は、私の一命を持って、会津を、皆の行く末を守る。何があっても生き延びよ!最後の君命(くんめい)じゃ!生きよ!!」と涙ながらに語ったことを受けて、八重(やえ)が容保に訴えた場面です。
 大河ドラマ「八重の桜」前半のクライマックスが終わりました。戦争とはつくづく理不尽なものだと思います。明治維新では西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬、高杉晋作など倒幕した側が英雄として語られることが多く、「正義」も同様に扱われています。ドラマで幕末・明治維新がたびたび取り上げられてきましたが、今回の会津藩からの視点は、「勝てば官軍」の苦々しい揶揄(やゆ)の意味を知らしめてくれました。東北人の実直さを描きたかったと制作責任者は述べています。でもそうであるならば、実直だったことがどこかで報われてほしいと願います。歴史の現実は、報われないままに「無念」と「悔しさ」を心に抱いて多くが命を終えていったのです。生き延びた人も悔しさから容易に解放されなかったことでしょう。


104号 感話:戦争の理不尽  戦争では正義が勝つのではなく、勝った方が正義を作っていくのです。また、八重が鉄砲で官軍兵士を撃ち殺す場面がありました。通常では許されるはずのない殺傷行為がいったん戦場になれば手柄に置き換わり、相手側の悲嘆には目をつぶろうとします。 その意味でも戦争は、優しさも人を思いやる心もすべて吹き飛ばしてしまいます。
 戦争は愚かなことと知りながら人類はそれをやめられないできました。「平和を願う」と言いながら武器開発は進められてきました。平和は、「自分たちの」あるいは「自国の」平和でしかないのです。でももう実際には使用できないレベルまで、武器が高度発達してしまいました。武力を使わないで争いを解決する方法を考えるべきです。日本は長く高度の技術を売り物にしてそれで経済を支えてきました。これからは原発を安全に廃炉に導く技術や、武力なしで争いを解決する「智慧」を売り物にして「商売」ができないものでしょうか。憲法9条「戦争放棄」はこれからの時代でこそ正義であり続けてほしい。合掌


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