平成24年10月 94号 感話:御同朋の社会をめざす運動 [ 平成24年10月3日 ]
前住職三回忌法要の御礼
9月22日はお彼岸の中日でありました。それまでの夏の暑さが一転して、さわやかな秋晴れの一日となりました。大勢の方々にご参詣いただいて法要を厳修し、あらためて前住職を偲んでいただきました。在りし日の姿をスクリーンで振り返りましたが、声をあげて喜んでいただいたのは踊る父の姿でした。坊さんの型にはまらないその振る舞いがちょっと緊張した法要の場を和らげ、みんなを楽しませてくれました。父にとってはみんなと共に喜べることが最も仕合わせを感じる瞬間だったのでしょう。「きょうもいかったのぉ。ありがとう、ありがとう。」とねぎらう父の声が写真の顔から聞こえてきそうです。
お荘厳(しょうごん)について思う
お葬式や法要は僧侶の大切な仕事ですから、そのような場面に何度も出ることになります。なぜ葬儀が必要なのだろうか、年忌法要は準備も大変だし、ご案内を差し出す先方にも時間と出費を強いることになって申し訳ないと感じられる向きが多いと思います。このたび前住職の法要をさせていただいて同様の思いになりました。終わってからも申し訳なかったという思いは変わらないのですが、何日も前から準備をしながらフッと思い起こされることばがありました。「お荘厳は仏さまへの敬いの表現です」と明鏡寺様のご住職があるときおっしゃったことばです。お荘厳とはお仏壇をきれいに掃除して打敷(うちしき)をかけ、お花を飾ることです。仏さまを敬うとは阿弥陀さまのことですが、法要の時にはお浄土に往かれた亡き人のことでもあるのです。仏に成られた亡き人を偲ぶとともに、敬うこころを表すのです。お飾りしたお仏壇を前に正座して手を合わせると自然に、ご恩への感謝の思いがわいてきます。ご法要をお勤めさせていただくとき、そんな時間をともにさせていただいています。
感話:御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動
750回大遠忌法要が終わり、新しい50年がはじまったと受けとめています。本願寺派(西本願寺)は、これまで基幹運動という名称で活動を進めてきましたが、今年度から標題の「御同朋の社会をめざす運動」と名称が変わりました。名称が変わることは中身も変わることを意味します。しかし浄土真宗のみ教えが変わるわけではありません。今の時代にあったみ教えの伝え方、喜び方をともに考えていきましょうという意味だと思います。今年度から3年間にわたって宗門が実践する社会活動の総合テーマとして「そっとつながる ホッがつたわる 〜結ぶ絆から、広がるご縁へ〜」が設定されました。宗門から出された総合基本計画の解説によれば、「そっと」とは、やさしく包みこむようにしてつながること、「ホッ」とは、そうしたつながりの中で与えられる安心感のことです。
先般新潟別院で新しい総合テーマのもと、教区で取り組む実践目標について話し合われました。
教区の実践目標は「寺院活動:念仏者の私が寺院活動を通じ、地域社会とのつながりを持ち、『ごえん』につながる活動を推進する」となり、達成目標は、「○通夜・葬儀の場や勤行を通じ、み教えに生きるよろこびを伝える。 ○子どもから大人まで、地域とお寺がつながっていく環境づくりをめざし、「次代を担う人の育成」をはかる。」と決まりました。
この話し合いの中で、委員のひとりである木曽隆さん(長岡長永寺住職)が「ご門徒とお寺を近づける活動が大事で、ご門徒と住職の溝を埋めていく努力が必要だ」と強調された後、「託念寺さんは今でも日曜日ごとの法座にはたくさんのお参りがある。それは住職三代にわたって積み重ねてこられた努力の結果なんだ」といきなり固有名詞を出して、私どもの寺のことに触れて下さいました。私は「ほめられた」のだと嬉しくなりました。ささいなことでもほめられることは嬉しいものですが、でも考えてみると、私がほめられたのではない、託念寺がほめられたのですね。
今年の夏、盆踊りが復活いたしました。託念寺の境内に子どもからお年寄りまで大勢の方が集まりました。企画した恵以真会の役員さんとの反省会でお酒をたくさんいただいた後で「大勢集まったのはよかったけれど、ただ集まればよいのではないよね。寺に集まって何をするのか。寺に集まることの意味は何なのかを説明できなければいけないよね。」と意見が飛び交いました。まさにこの議論が教区の実践目標で問われていたことでありました。この議論が自主的に出てくることが託念寺がほめられた理由でもあったのです。人とのつながりをよろこび、人と敬い合う関係を築いていく、そんな活動をめざしたいものです。合掌