91号 感話:そろそろ気付く時なのです [ 平成24年7月3日 ]
元上組「み教えに学ぶ会」
梅雨入りのニュースが流れてから、比較的いい天気が続いています。湿度も低いようで、30℃近い気温になってもまだエアコンの必要性を感じません。
消費税増税をめぐる政治のゴタゴタが連日のように報道されています。6月末の元上組「み教えに学ぶ会」では「声に出して読もう歎異抄」の最終回で私が担当し、歎異抄のあとがきとも言うべき「後序(ごじょ)」を学びました。
私たちの生活というのは、如来さまのご恩がどれほどに有り難いことかは問うことなしに、いつも互いに「善い」とか「悪い」とかばかり言い合っています。親鸞聖人がおっしゃるには、「善悪のふたつについては、私は何も分かっていないのです。ただ念仏だけが真実なのです」と。
政治の世界が一番わかりやすいのですが、まさにいつも互いに「お前が悪い」とか「お前さんたちのグループは間違っている」「間違っているのはそちらの方だ」とばかり言い合っています。いえ、政治家ばかりではありません。気づいてみれば、テレビに向かって私も「あんたはおかしい、あんたが間違っている」と叫んでいました。話し合いや協議をするときの基本的な姿勢は「ひょっとしたら相手は自分よりも優れた意見を出してくれるかも知れない」と謙虚に聞くことだと教えられたことがあります。
勉強会のテキストに聖徳太子が制定された「17条の憲法 第10条」が紹介されていました;
他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分は必ず聖人で、相手が必ず愚かだという訳ではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、誰が定めうるのだろう。お互い誰も賢くもあり愚かでもある。
勉強会で「『念仏のみぞまこと』とは、共に等しく尊いいのちをいただいている仲間である」とのお話し
がありました。「どんないのちも等しく尊い」とお示し下さっている阿弥陀さまの世界は、私たちの現実社会の価値観とあまりに違い、悲しくなってしまいますが、めざすべき世界であると思います。
ちょっと堅い話になったかも知れませんが、「み教えに学ぶ会」に参加してみませんか。思いもよらぬお仲間ができます。
写真は恵以真会研修旅行で石巻称法寺様をお訪ねしたものです。地震で大きな被害を受けられたご寺院です。
感話:そろそろ気付く時なのです (託念寺当院 鷲尾顕一)
私がインドに行った時の話です。町から町へ向かう道程でタクシーをチャーターしていました。タクシーのドライバーは22歳の真面目なヒンズー教のインド人男性で、彼とは色々な話をしました。
その中で、東日本大震災の話になり、彼は「インドでは大きな地震が起こらないんだ。なぜなら僕たちは毎日祈っていて、神様が守ってくれているからね。」といいました。私が「インドだって大きな地震があったじゃないか」と返すと、「あなたは神様の御加護なんて信じないだろうけど」とすぐに返事をしてきました。彼は日本人を相手にすることも多く、日本人は宗教に関心がないという認識でした。地震があったという事実はさておき、神様が守ってくれていると心から思える事が、信仰の強さを表していました。そして彼が言った「信じないだろうけど」という言葉には、何かあきらめのような響きがあって、ドキッとしたことを覚えています。
またネパールでは、敬虔な仏教徒のサキヤという男性に出会い、仏教が盛んな町に連れて行ってもらいました。その町はとても穏やかな雰囲気が漂っていて、修行僧をはじめ多くの人々に内面からにじみ出る幸福感と笑顔を見ることができました。そこでサキヤは「日本やアメリカはすごいスピードで文明を発展させて、物質的には豊かになった。でもそれが本当の豊かさだと感じてはいないはずです。そろそろ気付く時なのです。」と微笑みながら言っていました。(彼は日本で15年ほど働いていた経験があり、日本語がペラペラで、日本の事をとてもよく理解しています)
イスラム教では1日5回の礼拝が決まりとなっており、時間になるとモスクと呼ばれる礼拝堂に集まり祈りをささげます。その姿に美しさを感じる反面、何をするにしても効率化を重視する日本人の私から見ると、仕事をしていても手を止めなければならないこの祈りの文化は、非効率的に映りました。イスラム国家に先進国が少ないのもそういうことが原因しているのではないかと思うほどでした。しかしその後に出会ったイスラム世界に詳しい日本人に、イスラム教の祈りは我欲を抑制するための効果もあったという話を聞いて、妙に納得してしまいました。
私が信仰心の強い人々に出会って思ったことは、彼らはみな実践をもって信仰しているということです。ネパールで見た仏教徒の五体投地、インドで見たガンジス川での沐浴、イスラム教徒のモスクでの礼拝。そういった実践を伴う信仰によって、彼らは心の充実を得ているのだと感じました。そしてどの国でも充実した笑顔を見ることができました。
日本は世界有数の経済大国です。物質的には非常に豊かで、格差があるといっても途上国の比ではありません。今の日本はそういう豊かさを求めてどんどん発達してきました。経済に必要のないもの、非科学的なものは、徹底的に削ってきました。効率の良いものは優秀と評価されてきました。しかしそうやって効率を追い求めて、便利になって、余るはずの時間はどこにいったのでしょう。
帰国後、日本ほど生活しやすい国はないなと思いました。言葉が通じるというのはもちろんですが、治安は安定していて、食べ物は美味しい。電車だって滅多に遅れません。それでも何か足りないと感じるのであれば、それは物では埋められない何かなのだと思います。
「そろそろ気付く時なのです。」ネパールで出会ったサキヤの言葉と彼らの笑顔が胸に残っています。
写真は、恵以真会研修旅行で訪れた称法寺様です。境内の草取りボランティアをさせていただきました。
恵以真会研修旅行
6月30日〜7月1日 23名で石巻市を訪ねました。
「旅のしおり」より
東日本大震災が起きて3ヵ月あまり経過してから、宮城県を訪れました。連れ合いの実家は多賀城市、私たちが結婚して最初に住んだ山元町、それぞれにいたるところに大きな被害のあとが生々しく残っていました。テレビの映像で見るのとは違う現実がありました。どのように復興していくのだろかと思いました。
今年の春の彼岸会家族礼拝の日に前川小学校の5年生に被災地の子どもたちが書いた作文を朗読してもらいましたが、その作文集に被災者を積極的に受け入れた洞源院さんというお寺さんが何回も出てきました。恵以真会報に紹介したようにすごい活動をされました。是非とも直接訪ねてお話を伺いたいと思いました。恵以真会の研修旅行でそれが実現することを喜んでいます。私はこれまで石巻には行ったことがないのですが、義父が長く勤めていた宮城水産高校も渡波(わたのは)というところにあります。当院が何度かボランティア活動に参加した称法寺様にも草取りボランティアとお参りをさせていただけることになりました。きっと今回の旅行で石巻が身近に感じられることになるかと期待しています。少しでも気持ちを近づけて復興に関心を持ち続けたいと思います。
寺は人によってつくられる
洞源院さまでご住職様と奥様からお話を伺いました。
とても心に残りました。「あったかい手」という詩集もすてきです。
石巻の街が眼下に見下ろせる高台に洞源院さまはありますが、津波の爪痕は今もまだ、復興とはほど遠い形で残っています。