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89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動 [ 平成24年5月8日 ]

大風が吹きました

89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動  4月3日に大風が吹きました。被害はなかったでしょうか。私どものところは保育園が増築工事中で足場が組まれ、建物の上には雨よけのシートがかけられていましたが、その現場からトタン板のような機材が吹き飛んで、近隣の住宅にご迷惑がかかってしまいました。今思い返しても怖いと思います。風速30m/秒と天気予報で言われてもそれほど心配な気持ちにはなっていませんでしたが、いざその風が到達し、それが収まる気配がなく続くと、初めてその恐さが実感されます。その日は北島康介が日本選手権で200mの決勝を圧倒的な力で制した番組が流れていました。普段なら熱心に見るのですが、強風で家ががたがたと揺すられ、それどころではありませんでした。外に出て飛んできていたトタン板を長男とともに家の中に運び込む作業をし、工事現場の状況が心配で近づいて見ました。危険なことをしたものです。家に戻ってからはただ早く風が収まってほしいと願いました。自然の力に比べ私たちの力の何とちっぽけなことか。恐怖にさらされてやっと気づくのです。
 原発事故による放射能汚染は、自然災害をはるかに超えて広がり、深刻な問題を引き起こしています。人間が本来立ち入ってはならないものに、人間の欲望を満たすために踏み込み始めている危険を感じます。地球規模で異変が起きているのは、地球が人間に対して悲鳴を上げている姿なのだとお聞きしたことがあります。私たちは生活のありようを真剣に見直す大事な時に立っています。

写真は大風で大きく横にずれた雪囲い


花まつり

89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動 今年も花まつりの募財をお願いいたしましたが、たくさんの方々からご協力をいただきました。宗派を超えて構成される長岡市仏教会の最も大きな行事が5月5日に行われる花まつりです。お釈迦様は2500年前に誕生されました。一般には4月8日が花まつりの日ですが、こどもの日に合わせて子どもの成長を喜ぶ行事として長岡市仏教会ではこの時期に行ってきました。季節的にも花が一斉に咲き気候も安定しているこの時期が適していると思います。今年はシティホールプラザ「アオーレ長岡」がオープンしてその催し物とぶつかって6日に変更になりました。
 また、前川地区の花まつりは、前川保育園の園児も参加して熱心に行われてきましたが、長岡市檀信徒会が解散して昨年は行われませんでした。お釈迦様のお徳を讃え、お釈迦様の誕生物語を伝えていくことは大切なことです。5月の日曜法座に花まつり行事を復活することに致しました。とはいっても大袈裟なことをするわけではありません。花御堂の誕生仏に甘茶をかけて、皆さんと一緒に甘茶をいただきます。どうぞお参りください。小学生や中学生の参加も歓迎です。


感話 御同朋の社会をめざす運動

89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動 4月からこれまで永年親しんできた「基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)」の名称が改められ、「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)となって進められることになりました。その基本的な考え方が「総合基本計画」として示されました。以下に引用いたします;

 親鸞聖人は、混迷した世の中にあって、ともにお念仏を喜ぶ仲間を「とも同朋」「御同行」と呼び、苦悩する人々とともに生き抜かれました。私たちの先人はそのお心を受け、「御同朋・御同行」と互いに敬愛し、み教えをまもり広めていこうと努めてこられました。「御同朋の社会をめざす運動」とは、いのちの尊さにめざめる同朋一人ひとりが自覚を深め、浄土真宗のみ教えを社会に広め実践していく活動です。
 中略 2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災やさまざまな災害からの復興に向け、宗門全体で、お互いに寄り添い支えあおうという取り組みを進めています。中略 今こそ私たちは、あらゆる人々が参画することのできるお寺と宗門をめざし、人々の苦悩に向き合い、ぬくもりのある活動を展開することが大切です。



89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動 「いのちの尊さにめざめる」「互いに敬愛する」「互いに支えあう」「ぬくもりのある」御同朋の社会はどんな社会をいうのでしょうか。どのように実現していくのでしょうか。
 物質が豊かになって便利さはどんどん進歩していますが、「いのちの尊さにめざめて、互いに敬愛する」社会にはなっていないように思います。金子みすゞさんは、「私と小鳥と鈴と」の中で「みんなちがってみんないい」と表現されています。みすゞさんが生きられた時代を考えるとすごいメッセージだなと驚きすら感じます。人はそれぞれに違うことは誰もが認識しています。でも多くの人は一定の範囲内での違いを許容するのです。私は障害児の教育に携わっていましたが、障害児という呼び方はそもそも違いを特別視しているのです。障害があることは正常という範疇からはみ出ていることを示しています。その違いが特別なものとして扱われるのです。そこで「みんなちがって みんないい」のキャッチコピーを持ち出してもうしろめたく響きます。
 みすゞさんの主張は徹底した「違いの肯定」なのです。私は正信偈にある十二の光のひとつ「無(む)対(たい)光(こう)」を自分流に「対比しない、比較しない見方」と理解してきました。阿弥陀さまは比べないのです。私たちは比べたがります。「客観的」と理屈をつけて測って比べます。「仏光のもとに われかしこしの 慢心が砕かれ 卑屈の心も洗われる」という法語がありました(平成16年)。私たちの智慧は「比べて適正な評価を下した」ことにしています。それに対して仏の智慧は「測らないで比べないで認める」のです。


89号:感話 御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動  考えてみると「比べる」という作業は「私は勝れているという慢心」か「私は劣っているという卑屈」を生じやすいのです。とはいっても比べない生き方なんてできるのですか?できそうもありません。できそうもないのでめざすのです。私たちは仏の岸(彼岸)をめざしますが、生きているうちはこちらの岸(この世:娑婆)にいて仏になることはできません。だからこそ仏の側から照らしてもらって仏をめざさなければいけないのです。お経の最後「願(がん)以(に)此(し)功(く)徳(どく) 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」はそういう意味です。
 こういう社会を 「不安なく異なっていられる社会」と表現しているブログがありました(西原祐治のブログ「仏教を楽しむ」より)。いのちの尊さを互いに敬い合う社会をめざしたいと思います。合掌


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