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85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩 [ 平成24年1月10日 ]

あけましておめでとうございます

85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩  新しい年を迎えていかがお過ごしでしょうか。平成23年を振り返ると1年前のお正月には想像すらしなかったことがいくつもおきました。自然の出来事は人智を越えていることを承知はしていても、その承知していることをさらに超えて事(こと)が起きるのだと改めて思い知らされました。12月26日、福島第1原発事故調査中間報告の記者会見で畑村洋太郎委員長は「一度想定を決めると、想定外を考えなくなる」と述べていましたが、なるほどと頷きました。人はものを考えるときに一定の範囲を決めます。無限大に広い範囲、極端に小さい可能性を切り捨てて、取り敢えず境界を定めるのです。そしてこれまで人類が蓄積してきたデータを最大限活用して不測の事態に備えます。なのに自然はそれを超えて存在しています。「畏敬(いけい)」ということばが思い起こされます。先人たちは大いなるものへ「敬い」の気持ちも込めて、自然と向き合ってきたのだと思います。


親鸞聖人750回大遠忌法要御正当(ごしょうとう)

85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩  聖人のご命日にちなんだ仏事として毎年1月9日から16日まで本山で御正忌報恩講が勤められますが、50年に一度の大遠忌のときに特に「御正当」と呼ぶのだそうです。16日の法要後にご門主様から御消息が発布されます。御消息とはお手紙のことですが、さまざまなご縁にご門主様がそのお心を広く伝えるために出される書簡をこのように称しています。私たちが今の時代に親鸞聖人のみ教えに出遇う意味をお示し下さると思います。来月号でご紹介いたします。


年始総会についてのお知らせ −特に宮内地区の方々へ−

85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩  1月2日は修(しゅ)正(しょう)会(え)のお勤めとともに1年に一度の託念寺ご門徒の総会があります。昨年度の事業報告と決算、新年度の事業計画と予算審議が行われます。
 これまで長い間宮内地区の方々には春のお彼岸時期にご参集いただいて年始総会を行ってきました。これはきっと交通の便が悪かった往時、お檀家さんが多い宮内地区の方々のために総会と親睦の場を特に設定したものであると思います。住職も総代さんと一緒に参加して懇親を深める貴重な機会でありました。そうではありましたが、先般の世話方会議において、近年では冬場でも車等での移動が容易になり、むしろお正月の時期に一堂に会して懇親を深めていただくことの方がよいのではないと提案があり、了承されました。
 つきましてはお正月を直前に控えてのお知らせで恐縮ですが、平成24年年始総会からの実施といたします。どうぞお参りくださいますようお願い申し上げます。また、託念寺からすこしはなれたところにお住まいの方々もどうぞ年始総会にお越し下さるようご案内申し上げます。


85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩  秋頃ある懇親会の2次会で殿町のお店に行く機会がありました。私はそういうお店で女の人と楽しく会話することが苦手で話題に困るのですが、そのときは隣に座ってくれた女性と話が弾みました。そのきっかけは数年前新潟別院で除夜の鐘つきをしたという話からでした。別院職員に誘われたのだそうです。私の寺でも鐘つきをすると伝えると、「行ってもいいですか」と嬉しいことを言うのです。今そんなことを思い出し、本当にきてくれるだろうかと淡い期待をして大晦日(おおみそか)を楽しみにしています。
ところで、除夜の鐘は108回撞くのですかと、よく聞かれます。以前は小さなチョコレートをあらかじめ108個用意していたこともありました。最近は数えていませんが、チョコレートはたくさん用意しています。百八が煩悩の数だということも多くの方が知っておられます。その詳細はわからなくとも、煩悩とはいくらたたいても払っても無くなりはしない実に情けない、お恥ずかしいものであると誰もが感じとっています。


85号 感話:除夜の鐘 3つの煩悩  今年の重大ニュースが繰り返し流されています。東日本大震災を振り返って最も恐ろしかったのは原発事故だったのではないでしょうか。すでに大惨事であったことは紛れもないことですが、報道されているようにひとつ間違えば取り返しのつかないさらに深刻な放射能汚染に見舞われた可能性も指摘されています。本願寺新報元旦号に梯(かけはし)實(じつ)圓(えん)さんが、「原子力発電は経済発展を最高の価値と見なす思想が生み出した危険な産物です。その意味でこの事故は経済的利潤の追求を、すべてに優先させている思潮への激しい警鐘と受け取るべきでしょう。」と述べられています。「自分の欲望を満足させてくれるものを価値あるものとして愛着し、是が非でも取り込もうとする。それを貪欲(とんよく)と呼びます。これは自分に都合の悪いものを有害と決めつけ排除しようとして、憎悪を燃やしていきます。これが瞋(しん)恚(い)(怒り)です。貪欲のあるところには必ず瞋恚が生まれ、愛欲と憎悪に苦悩する」と説いておられます。
 原子力発電によって便利さを享受した私たちは身勝手にも原子力発電は安全でクリーンエネルギーだと思いこもうとしていたのかも知れません。放射能汚染がこんなに怖いものだと知らされた今になってもなお便利さを守りたいと煩悩の火を燃やします。このような自分の都合を第一と考える自己中心的な想念を無(む)明(みょう)(愚痴(ぐち):愚かさ)と呼び、欲と怒りと愚かさを合わせて「三毒の煩悩」と呼んでいます。除夜の鐘つきが、私たちの底なき煩悩にもっと深く気づく機縁になればと思います。
 かの女性が本堂にお参りされたら是非ともこんな話をしてみたいと思っています。 合掌。


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