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76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました [ 平成23年4月6日 ]

春の彼岸会

76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました  「家族礼拝」にたくさんお参りいただきました。前川保育園の保育士中島弘美さんによる朗読「こぐまのむっく」をスクリーン上の絵本を見ながら聞きました。今年の寒い冬を振り返りつつ、春の訪れに温かみを覚えました。さらに小学生5名の「くまさん」「ぞうさん」の歌声に参拝の方々が元気をもらいました。子どもたちの声に希望を感じます。今回は子どもたちの参加が多く、この会が少しずつ定着してきているのかなとうれしく思いました。

春の彼岸会 プログラム
日時:3月21日(春分の日)朝8時〜9時
場所:託念寺本堂
<プログラム>
1.おつとめ しんじんのうた
2.えほん「こぐまのむっく」
3.一緒に歌いましょう
   くまさん ぞうさん
4.お茶タイム 
5.梵鐘(ぼんしょう)の撞き初め


節目の時に手を合わせて「ありがとう」

76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました  小学生から中学生に移るころ、子どもっぽさが大人っぽさに変わり、正視するとちょっとまぶしさを感じます。そんな雰囲気をただよわせて前川小学校の卒業式を終えた9名が仏前に感謝の手を合わせてくれました。大人の行儀を憶えるのもいいかなと思って作法をオリエンテーションしてから、「しんじんのうた」の読経中ひとり一人に焼香をしてもらいました。きっと仏さまの前で心から「ありがとう」の合掌をしたことでしょう。
 はなむけのことばとして「自分のことより ちょっと他人(ひと)のことを考える こんな事ができる人を 心豊かな人という(雪山隆弘)」を贈りました。


金子みすゞの詩  「こだまでせうか」

76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました  大震災のあと民放のコマーシャル自粛がありましたが、その穴埋めのように公共広告機構(AC)が金子みすゞの「こだまでしょうか」を繰り返し流したそうですね。最初に見たとき「おお!」と感激したのですが、あまりにも頻回だったため抗議がテレビ局に殺到したのだそうです。金子みすゞさんもこんな状況に困惑しているかも知れませんね。私たちは有名になった詩に曲をつけて歌っていきたいです。山?浩さん作曲の「こだまでしょうか」はちょっと難しいのでまだ人前では歌えません。そういいながら日曜法座で歌うかも知れません。口ずさんで自分の姿を振り返ります。

こだまでせうか
「遊ばう」つていふと
 「遊ばう」つていふ
「馬鹿」つていふと 
 「馬鹿」 つていふ
「もう遊ばない」つていふと
 「遊ばない」つていふ
さうして あとで
 さみしくなつて
「ごめんね」 つていふと
 「ごめんね」つていふ
こだまでせうか
 いいえ 誰でも


 写真は家族礼拝の様子です


感話 かえがえのない地球の自然 なれど地震も大津波も地球の自然でありました

76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました  先月に続いてまた地震のことを書くとは思いもよらぬ事です。こんな状況の中でさまざまな支援活動が行われています。募金やボランティアなどが活発です。自分にできることは何だろうと誰もが考えているのでしょう。毎日新聞にこんな記事を見つけました;
 岩手県山田町の斎場で、津波被害を受けて葬儀が出せない遺族らのために、隣接する曹(そう)洞(とう)宗(しゅう)寺院の僧侶の兄弟が火葬のたびに駆けつけ、ボランティアで読経している。ここまで大勢の遺体を目にした経験はなく、衝撃を受けるとともに「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が「手を合わせてくれるだけでもありがたい」と涙を流して感謝する場面もある(2011年3月29日)。
 私は6年半前の中越地震でいただいた御見舞の手紙や金品の記録を綴(つづ)ったファイルを開いてみました。その数の多さにファイルがふくらんでいます。あのときのありがたさや人の心の温かさがよみがえりました。地震発生直後から多くの方々が私どもの安否を気づかって電話を何度もトライされたり、メールを送ってくださいました。パソコンが地震5日後に復旧したとき40通あまりのメールが入っていました。また、子どもを出産したばかりの大学院生はミネラルウォーターやウーロン茶を段ボールで送ってくれました。この人もこの人からもと振り返りました。
 私が知っている方々からの気遣いの他に、支援してくださった方の顔も名前も全くわからないものが実に多かったことに驚かされました。新潟教区には1億2千万円の義援金が寄せられ、私どもの寺にも160万円を超える見舞金が届けられたのです。どれほど多くの方が募金されたのでしょうか。この方々には何のお礼もしてこなかったのです。いまそのご恩にこたえるときです。
私たちには人の痛みを感じ取れる感性が備わっています。その感性が絆(きずな)を作るのでしょうか。俳優渡辺謙さんは、Tsunami(つなみ)よりもKizuna(きずな)という日本語を世界共通言語にしたいと呼びかけています。合掌

写真は、家族礼拝のものです。子どもたちが手話付きで「ぞうさん」を歌いました。


思い起こす中越地震 それぞれの恐怖 

76号 感話:地震も大津波も地球の自然でありました 平成16年10月26日の中越地震。我が家の様子です。11月7日に記したものです;
 いきなり始まった。いきなり最大級の揺れに達した。揺れている最中、こんな地震はあるのか、鉄筋の建物もつぶれるかも知れないと怯えた。建物中がすさまじい力で揺すぶられる。建物全体がものすごい音を立てて揺すぶられた。電気が消えた。恐怖の数十秒間が過ぎた。それでも保育園は非常灯が残った。たまたま父が目に届くところにいた。父は保育園の玄関のところでしりもちをついていた。怯えてはいなかった。驚いた表情だった。ちょっと安心して次に家内が大丈夫だったかと別宅の方へ向かった。園長室から大きな声で名前を呼んだ。「大丈夫か」と叫んだ。何と答えてくれたかは覚えていないが、返事はくれた。少し安心して次に母の方へ向かった。ここでも母がいるだろう台所をめがけて大声で安否を叫んだ。母は「テーブルの中にいるよ。お父さんがお風呂らて、」「お父さんは保育園にいて大丈夫」と伝えて父のところへ戻った。この間余震はあったのだろうか。なかったのだろう。父と一緒に母のところに戻り、家内が程なくして私たちのところへ来た。電気が消えて真っ暗であったが、この瞬間家にいる4人が怪我もなく揃ったことで安堵した。

 写真は、中越地震で散乱したお内陣の様子です。


イメージ:ボタン

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