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70号 感話:果たし終えた大きな役割 [ 平成22年10月7日 ]

恵真院釋晃凡 会葬の御礼 

70号 感話:果たし終えた大きな役割  前住職(俗名:鷲尾晃凡)が9月26日、行年91歳をもちまして往生の素懐を遂げました。託念寺本堂にて29日に通夜、30日に葬儀を執り行いました。大勢の皆様にご会葬いただき、また出棺に際しましてもお見送りいただき心より御礼申し上げます。
父はあと1ヶ月で満90歳でした。親鸞様よりも少しだけ長生きしたことになります。丈夫で病気をほとんどしない人でした。最後まで入院することなくずーと自宅で過ごすことができました。老衰でした。3年くらい前から痩せ始めた気がいたします。今年8月1日の盆参で体重が45kgになったことをお話ししましたが、それでも晩酌を楽しみそれなりに食事もしておりました。9月に入ってから食事ができなくなり急速に老衰が進みました。面倒を横で見ていた母は大変だったでしょうけれど、今思えば父も私たちもしあわせでした。それなりに世話をさせてもらって、父は「わるいな ありがとう」と何度も繰り返しました。父はかっこよくお念仏をしながら往生することはありませんでしたが、「申し訳ないな、ありがとう」というたびに自然に手が合わさっていました。これがお念仏の姿でもあったのだなと今思います。
 


70号 感話:果たし終えた大きな役割  遺影の写真は、父が住職だった最後のとき、私が住職を継職したときのものです。安堵した父の表情、これがいいと思って選びましたが、何人かの方にお酒が入っている顔ですねと言われました。遺影だというのに、お酒が入っていることがはっきりとわかる写真かとちょっとハッとしたのですが、それが父らしく、もっとも愛された父の表情でもあったなと納得しました。お酒を飲むと、踊る父を思い出される方が多いでしょう。父しか踊れない真似ができない一芸でした。父はお酒の席でいつも人を楽しくさせてくれました。もちろん自分も楽しんでいましたが。
 父はしあわせな人でした。教員時代も住職になってからも多くの方に出遇い、支えられて喜びや悲しみを共にしてきたのだと思います。院号を内願して「恵(え)真(しん)院」とさせていただきました。恵以真会からとりました。恵以真会の皆さんと共に多くの活動をした父は輝いていました。また、保育園の仕事も大きなよろこびだったのでしょう。保育園が改築できたときも多くの方に感謝しながらとてもよろこんでいました。元上組や新潟教区での活動などもあげていくと尽きませんが、しあわせな生涯だったと思います。


感話 「果たし終えた大きな役割」

70号 感話:果たし終えた大きな役割  父が亡くなるちょうど1週間前、娘が父と母にひ孫兄弟の可愛らしい写真を載せたタペストリー(壁掛け)を贈ってくれました。父がいる居間にかけました。翌日は彼岸の入りで朝法座をお勤めいたしました。そのときに星野富弘さんの詩と絵を紹介しました;「役割を果し 今まさに散ろうしている花 そのとなりでは 開きかけたつぼみ ひと枝の椿 大自然の縮図」 父は最後に大きな役割を果たしてくれました。それは老いる姿を見せてくれることでした。どんな花も散らない花はありません。どんなふうに散っていくのだろうか。
 私は幸いにも父の世話ができました。あんなに食べることの好きな父が食べられなくなりました。お酒が好きだった父は亡くなる1ヶ月前まで自分で分量を量り、母に盃一杯をついであとはゆっくりと楽しみました。食事が終わるとお酒の片付けだけは自分の仕事と心得てやりました。そして8月の終わり頃「今日はいい」という日がやってきました。お酒を楽しんでいるうちはまだ大丈夫と思っていたのに。お風呂も好きな父でした。9月2日にお風呂に入ろうと誘って、母が手を引いてお風呂に向かいましたが、途中で歩くのが辛そうではじめて車いすに乗せました。その後訪問看護師さんの支援を受けて2回浴槽につかりました。9月15日が最後のお風呂でした。


70号 感話:果たし終えた大きな役割 2日後ほとんど食べられなくなった状態に耐えかねてベッド付きタクシーで病院にいきましたが、お医者さんに「何もすることはありません。最後までしっかり寄り添うことです」と言われて覚悟が定まりました。父に「家に帰ろう。よかったのぉ」と告げたときに涙があふれました。そんなときでも父らしい一コマがありました。看護師さんが父の姿勢を変えようと手を添えると「ノーモア(no more thank youのこと)」と言ったのです。父は他人(ひと)にはちょっとカッコつけるところがあって英語を使いたがるのです。でもひょっとしてこの「no more」は「もう何もしてもらわなくていいよ」と言いたかったのかもしれません。亡くなる5日前、夜中の12時ころに「腹がへった。お前はヘランガカァ?」と私に話しかけました。口からはほとんど入らなくなってお腹がすいていたのでしょう。これが会話らしいやりとりの最後かも知れません。俗っぽくて父らしいと思いました。手を引いて歩いたのもこの日が最後でした。そして2日後ベッドの上でも起き上がれなくなりました。70代の頃、「肩書きをひとつずつ外していくのも人生だよ」とよく口にしていました。父は、命尽きる日まで堂々たる人生を歩んでくれました。
 8月下旬のある日;「念仏、念仏を喜んで 忘れるなよ」 「感謝して」 「タノムロ」   合掌


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