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平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ [ 平成22年9月8日 ]

暑さの中 盆参 暁天法座 お墓参り

平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ  言うまいと思っても口を開けば猛暑のこと。省エネ、二酸化炭素削減と呼びかけてもエアコンなしでは過ごせない暑さでした。マスコミも熱中症が心配だからエアコンを節約せよとは言っていません。環境への悪循環が心配です。
 こんな中、盆参、恵以真会暁天法座、恵以真大会、お墓参りの行事が行われました。盆参は扇風機だけの本堂に100人のご参拝がありました。お正信偈の大合唱ではさぞかしヒートアップしたことでしょう。でもこの熱気がお寺の繁盛、お念仏繁盛と思えばよろこびに変わっていきます。

 今月の写真スナップは主に暁天法座のときのものです。


いのちをいただく

平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ  暁天法座最終日に絵本「いのちをいただく」(内田美智子著 西日本新聞社 2009)を青山町平沢育子さんに朗読していただきました。私たちが日頃食しているお肉の裏側では、愛情を注いで牛を育てるひとと家族がいて、その牛のいのちを奪う役割のひとはこんなにも切ない思いをしていて、牛もまた涙を流しているのです。
 可愛がって育てた牛がお肉になってお家に帰ってきました。泣いて食べようとしない孫におじいちゃんは「みいちゃん(牛の名前)のおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそかろ?食べてやんなっせ」と言いました。孫は泣きながら「みいちゃん、いただきます。おいしかぁ。おいしかぁ」と言って食べました。
 この物語を聞いたら食事のたびに手を合わさずにはおれなくなります。この本を読んでみたい方がおられたらお貸しします。


小学3年生との共同作業

平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ  今年の暁天法座で小学校3年生の子どもたちが大活躍をしてくれました。
 真珠まりこ作の絵本『もったいないばあさんと考えよう世界のこと』は世界中の9歳の子どもたちがどんな生活をしているかを紹介し、同じ9歳の日本の子どもたちがしている生活を振り返ろうという内容になっています。生まれても戸籍が作られない子ども、地雷を踏んで片足を失った子ども、学校も行けずに仕事をさせられている子ども、ゴミの山からすこしでもお金に換えられるものをさがしている子どもなど。これが9歳の子どもの生活だろうか。同じ9歳の小学3年生であれば心が揺すぶられるかも知れない。そんな風に考えて、暁天法座での朗読発表を企画しました。


平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ  呼びかけた前川小学校3年生全員12名と前川保育園修了の宮内小学校の1名が参加してくれることになりました。本番前に練習日を3回設けました。1時間ずつでしたが、全員が遅刻もせずに集まり熱心に取り組みました。
 6つの国の子どもたちの生活内容を二人一組で声を合わせて朗読します。難しい漢字にはかなを振り、問いかけの文は語尾を上げる読み方をしたり、速すぎる読み方にならないようになど練習を重ねました。


平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ  暁天法座初日、私の心配をよそに全員が揃いました。しんじんのうたをおつとめして本番です。練習とは違う緊張感の中で順調に読み進めました。最後は全員声を揃えてのアピールです。;
 「同じ地球に暮らす9歳の子どもなのに、どうしてこんなにちがうのでしょうか?『わたしたちさえよい生活ができれば、ほかの人はどうでもいい』と言えるでしょうか?
 自分さえよければ、という考えをもたず、分け合う気持ちがあれば、平和な世界がかならずできると思います。どうしたらみんなが幸せに暮らしていけるかを、みんなで考えていきましょう。」
 参会者から大きな拍手をもらいました。ちょっと誇らしげな13人の子どもたちの笑顔が爽やかでした。充実の共同作業でした。


感話 あたりまえ

平成22年9月(通巻69)号 感話:あたりまえ あたりまえ
こんな素晴らしいことを
みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本ある
脚が2本ある
行きたい所へ自分で歩いていける
手をのばせば何でもとれる
音が聞こえて声が出る
こんなしあわせがあるでしょうか
しかしだれもそれを喜ばない
あたりまえだと笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ
そしてまた朝がくる
空気を胸いっぱいに吸える
笑える 泣ける 叫ぶこともできる
走り回れる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを
みんなは決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは
それをなくした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
 この詩は31歳にして肺ガンで亡くなられたお医者さんが書きのこされたものです。この夏、託念てらだよりを読んでくださっている方から送っていただいたものです。著者のお名前が記されていなかったのですが、確認して追ってお知らせいたします。
 私事ですが、お盆時期の日曜日朝9時ころ外出しようとしたその時、急に黒い小さな虫が目に写りました。追い払おうとして気がつきました。自分の目の中で飛んでいるのです。視線を移動すると動くのです。右目だけに生じています。痛みもありません。これが飛蚊症(ひぶんしょう)というものかも知れないとインターネットで調べるとまさにその通りの記述がなされています。その日以降毎日私の目の中を飛び交っていて気になります。少しずつ大きくなっているような気もするのでついに眼科に行って診てもらいました。入念に調べてくださったあとに「特別な症状はみられないので確かに”飛蚊症”です」とお墨付きをいただきました。薬も処方されず「一生仲良くつき合ってください」と言われて終わりました。安心はしたのですが、これで不自由なものがひとつ増えたと思い、この「あたりまえ」の詩を思い出しました。
 体に痛みがないときは痛みがないことがどんなありがたいことかなど気づかないでいます。痛みがあって切ない思いをしてもそれが治ってしまうといつのまにかそれがあたりまえと思ってしまいます。
 今年5月に新潟県立近代美術館(長岡市)で開催された「奈良の古寺と仏像」展で東大寺所蔵の「五劫思惟阿弥陀如来坐像」が展示されていました。阿弥陀さまが私たち衆生がすべて救われる道を求めて五劫の間、思惟された姿を、頭を覆った髪の毛で表されたユニークな仏像です。私のしあわせを願ってくださる仏さまがおられたことに、あたりまえではなくありがたいと気づかせてもらいました。合掌


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