67号 感話:ご縁の世界 [ 平成22年7月1日 ]
サッカーW杯 日本は
6月25日朝3時20分目覚ましがなって、しばらくして「始まるよ、見よう」と誘われてテレビの前に座りました。4年に一度のサッカーファンと言われそうですが、やはりワールドカップは特別です。連れ合いの意気込みに乗せられて、キックオフから勝利の大興奮まで一時も目を離さずに観戦しました。後半1点を返されて1点差になると、ゲームを楽しむはずが、はやく試合が終わってほしいと時間ばかり見ているありさま。そんな心配を吹き飛ばした3点目のゴール。よかったですね。翌日の朝刊は、コラムも社説ももちろん社会面もサッカー記事がいっぱいです。選手やチームの健闘を誉め讃える記事は嬉しいものです。スポーツ選手の活躍は本当に人を元気にしてくれますね。さあ、もうひとつ頑張ってほしいです。
追伸:29日夜のパラグアイ戦はご存じの通りですが、こんな感動をもたらす負け方は誰が予想できたでしょうか。喜びの余韻が気持ちいいです。
写真:梅雨入りした田んぼです。
図書紹介 「いのちをいただく」 内田美智子著 西日本新聞社刊
5月に新潟別院で新潟教区仏教婦人会総会が開かれた折、ご法話の中で紹介されたそうです。坊守は「涙なしでは聞けない話だった」と感想を話してくれました。6月の17日講では長永寺ご住職が朗読してくださいました。手塩にかけて育てた牛なのに、私たちが生きるためにそのいのちをいただく。他のもののいのちをいただかなければ生きていけない現実。子どもたちにも大人にも読んでもらいたい、聞いてもらいたい1冊です。
感話 「ご縁の世界」
もう3年ほど前でしょうか。日本から見た硫黄島「硫黄島からの手紙」とアメリカから見た硫黄島「父親たちの星条旗」という2つの映画が話題になりました。いずれもクリント・イーストウッド監督の作品で前者は渡辺謙が主演をしました。私は子どもの頃、父(前住職)が硫黄島の話をよく口にし、またテレビで硫黄島激戦のことがドキュメンタリーなどで放映されると熱心に見ていたことを思い出します。父は自分が激戦前のほぼ最後の飛行機で本土に戻ってきたことを「運がよかった」とは言っていましたが、悲惨な出来事については積極的には語りませんでした。今から推測すると、硫黄島に残って闘った人たちに申し訳ないという気持ちがずっとあったのかも知れません。
「硫黄島からの手紙」は公開されて程なくして寺の本堂で父を交えて鑑賞することができました。日本人兵士の戦死者2万人に驚きますが、アメリカ軍兵士も6千人が命を落としているのでアメリカ軍にとっても日本への憎しみを募らせた戦いだったのだと改めて思い知りました。憎しみの深さは当事者でないと容易には理解できませんが、ここで紹介する物語は、憎しみが転じて新たな絆が生まれたご縁の世界です。今年の3月ドイツに住む義妹が送ってくれた「硫黄島で戦った元米兵、65年の歳月を経て思いを語る」アメリカCNNの記事(2010.03.09 Web posted CNN USA)を引用します;
「あの地へ戻りたいと思ったことは一度もなかった。しかし行って本当によかった」――。65年の歳月を経て硫黄島の慰霊式に参列した元米兵が、これまでを振り返ってこう語った。
フロリダ州に住むイェリンさん(87歳)は22歳になったばかりの1945年3月7日、P51戦闘機のパイロットとして硫黄島に降り立った。「一方では大量の日本兵の遺体の山がブルドーザーでかき集められ、われわれの戦隊の後ろには米海兵隊の遺体安置所があって身元確認が行われていた」。この記憶は生涯消えることはなかった。今月3日、65年ぶりに硫黄島を訪れ、慰霊式に参列した。硫黄島の戦闘では旧日本軍の2万2千人、米軍の6千人が死亡。慰霊式は95年以来、この戦没者を悼んで日米合同で営まれている。当時、地上で戦う海兵隊を空から何度も援護したというイェリンさんは「地上の人たちを人間と思ったことはなかった。憎しみが強ければ、相手を人間とは見られなくなる。日本にまた行きたいとは思わなかった。敵地をわざわざ訪問したいわけがあるだろうか。戦った相手、憎んだ相手を訪ねたいと誰が思うだろうか」と振り返る。
転機は88年に訪れた。息子が結婚を望んだ女性は、硫黄島で戦った旧日本軍のパイロットを父に持つ日本人だった。親類は2人の結婚に反対したが、結婚式の3日前、父親同士が会うことになった。「私は彼を憎み、彼は私を憎んでいた。しかし彼は言った。『日本軍と戦ってP51を飛ばし、生き延びた男なら、勇敢な男に違いない。自分の孫に、その男の血が流れることを望みたい』と。そして息子は結婚し、私の人生は広がった。あの戦争で殺されたのは人間だったと悟った。彼らは親切で明るい人々で、今では私の家族になった」
イェリンさんは昨年、この経験をもとに「Of War & Weddings」という小説を出版。それでも硫黄島を訪れたいとは思わなかったが、死んでいった仲間たちの慰霊ができると言われて心が動く。それを知った18歳の孫が、かつて2人の祖父が戦った地を見たいと言い出した。「日本人の孫が行きたいと言うからには、行かなければならなかった。行って本当によかったと思い、胸が高鳴った。降り立った瞬間から、ほとんど1日中涙が止まらなかった。数々の思いがこみ上げ、そしてわれわれは16人の仲間をしのんだ」
こんな劇的な出遇いは滅多にないことかも知れませんね。私たちは愛憎が渦巻く世間で生きなければなりません。憎しみや怨みという感情は簡単には消えないものかも知れませんが、そんな感情も転ずる機会がきっとあるものなのだとも思いました。それが「ご縁の世界」ということでしょう。合掌
元上組仏教婦人連盟総会
6月19日(土)託念寺を会場に開かれました。
献灯、献花、献香が厳かに行われ、音楽法要がお勤めされました。