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63号(感話:塀に囲まれた安心) [ 平成22年3月3日 ]

やっと冬が終わりに近づいています。

63号(感話:塀に囲まれた安心) 先月号で暖冬という長期予報が外れたと言うニュアンスで書きましたが、振り返ってみるとやはり温暖化していると感じています。何度も大雪に見舞われましたが、それが通り過ぎると雨が降るのです。ちょっと前までは大雪の年はその積雪が保たれましたが、今年は雨が降ることで一時的に積雪が大きくなってもすぐに減るという繰り返しでした。
写真は2月6日の猛吹雪のものです。一瞬のぞいた日差しに光の春を感じました。この日は新潟市でも交通が麻痺したようで、ニュースで報じていました。


やっぱりオリンピックっていいですね

63号(感話:塀に囲まれた安心)  今テレビでは圧倒的にオリンピックの話題です。これを書いている今、女子フィギュアの日本人選手がもうじきすべる時間です。ワクワクというよりドキドキです。選手の気持ちになり家族の気持ちになると、ますますその思いがします。浅田選手がショートプログラムを終えたあと、金メダルへの意気込みを問うインタビューに「金メダルはほしいけど、その前に自分の演技をやりきることです」と笑顔で応えていました。そうだよそれでいいんだよと頷(うなづ)いて聞いていました。前週に行われた男子フィギュアでは高橋大輔選手が銅メダルを取りました。翌日の新聞に「チーム高橋」のことが取り上げられていました。曲の選定、踊りの振り付け、ジャンプの指導、食事を担う栄養士までその道の専門家がチームを作って、高橋選手を大舞台に送り出しているのです。高橋選手はすでに自分ひとりの演技者ではなくなっているのです。すごい重圧だろうと思いました。
 浅田選手は銀メダルでした。よくぞここまで頑張ってくれました。多くの日本人がそんな思いで浅田選手に労(ねぎら)いと感謝の拍手を送ったことでしょう。久しぶりにテレビの前で胃の痛みを感じてしまいました。4年に一度のオリンピックは、舞台に立つ選手と願いを同じにする人の数が違うのです。失敗すると落胆は大きく、成功すれば喜びは大きい。同感同悲を味わって、「オリンピックっていいですね。」


写真は1月18日撮影の大雪景色です。新雪に青空は素晴らしい景色です。これも雪国の喜びでしょうか。3月になると余裕を持ってそんなことがいえます。



750回大遠忌法要元上組お待ち受けのスローガン

63号(感話:塀に囲まれた安心)  「いつも ごいっしょ しんらんさま」 
 今年9月26日(日)に開催される元上組お待ち受け法要にスローガンとして掲げられることになりました。
 託念寺参道に親鸞聖人像が建っています。中越地震でも被害を受けずに堂々とお立ちくださっておられます。その台座に「ひとり居て喜ばば ふたりと思うべし二人居て喜ばば みたり(三人)と思うべし その一人は親鸞なり」と刻まれています。これは、「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。」から引用したもので聖人が亡くなられた弘長2年11月に書かれた遺言と伝えられています。
 私たちの暮らしは誰かに一緒にいてもらわないと不安が大きくなります。今の時代はどんどん人と人の関係が薄くなって、「無縁社会」ということばが生まれています。人が一緒に暮らすことは人とぶつかる機会も増えることです。保育園で「4つのおやくそく」を掲げています。そのひとつは「みんななかよくします」です。人と係わってひとを傷つけ、ひとに傷つけられてはじめて「なかよくします」の約束が子どもにも理解されるのです。人ときずなを作って「ごいっしょに」居ることの喜びを分かち合いましょう。そんなお仲間を作りましょう。


感話 「塀に囲まれた安心」

63号(感話:塀に囲まれた安心)  本願寺新報2月20日号のコラム記事に「ゲーテッドコミュニティ」のことが紹介されていました。Gated Communityと英語で書いた方が理解しやすいです。「要塞街」とも訳されています。欧米での話ですが、富裕層が居住している地域で自分たちの安全を守るために、住宅地の周囲を高い塀で囲って、ゲートを設けて出入りを制限しているそんな街のことをいうのだそうです。この上警備員までおいて不審者を監視している所も多いのです。このような街づくりが登場したのは1980年代です。
 日本でも大阪教育大学付属池田小学校で8名の児童が殺害された事件(2001年)をきっかけに、不審者から児童の安全を守るための対策が次々に立てられました。数年前まで仕事の関係で小学校に出かけることが時々ありましたが、都会ほど学校のまわりはフェンスが回され、門には鍵がかけられる構造になっていました。凶悪事件があると先ずこのような対策が思い浮かぶのでしょう。学校でのこのような対策に正面切って反対する人は少なかったかも知れませんが、ゲーテッドコミュニティの発想には違和感を感じる人が少なくないでしょう。自分たちだけが安全であればいいのか。自分たちだけは安心できる人の集団だと思っているのか。見知らぬ人は危険であると思っているのか。この考え方は人を信頼することから逆行している等々。こんな方法で安全が保証されるはずがないのはすぐに分かります。塀の中が安心だと思って集団を作っても、人間の信頼関係を作ろうとしないその場しのぎでの集団ではきっと長くは持続しないで、塀の中から不審者も生まれてくるに違いありません。結局はひとり一人が自分の安全を銃で守ろうとするところに戻っていくのではないでしょうか。アメリカで銃規制が進まないことと同じ発想が根底にあるのだなと感じました。貧富の差が拡大するとこんなことが現実化するのかと恐ろしさすら感じました。


63号(感話:塀に囲まれた安心)  日本ではこれほど極端なものはないそうですが、安心はできません。こんなことを考えてしまうのは何故なのでしょうか。こんな方法をとらずに安心や安全を作っていくことはできないのでしょうか。本願寺新報の記事は、これからの社会のあり方を考えていく上で拠り所とすべきは、仏教に基づく「共生(ともいき)」の思想だと述べています。仏教では縁(えん)起(ぎ)を大切に考えます。全てのいのちは繋がっていて単独で生きているいのちはひとつもありません。「敬い合って 支え合って」「ともに いのちかがやく 世界へ」のスローガンが本当に実現していく取り組みをしなければならないのですね。 合掌


恵以真会の活動から「しんじんのうた勉強会」

63号(感話:塀に囲まれた安心) 今、しんじんのうた勉強会は第3木曜日の午後8時から9時の1時間行っています。参加者は多いときで10名くらいでしょうか。「しんじんのうた」のお勤めをして勉強会に移ります。
テキストはひろさちや著「わたしの歎異抄」です。とてもおもしろい書物です。世間のものさしと仏様のものさしの違いがよくわかります。たとえばいのちの重さを量るものさしです。仏様のものさしには目盛りがついていないのです。
なるほどなるほどの連続です。どうぞいらしてください。


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