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第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい [ 平成22年2月2日 ]

雪がたくさん降りました

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい  暖冬少雪の長期予報ははずれたようで5年ぶりに庫裏の雪降ろしを致しました。1月13日から17日まで「今季一番の寒気」の通り、よく降りました。「そんげにガマンしないでおろしましょうて」のおことばに甘えてお願いしました。ありがとうございました。


道路舗装  広くなりました

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい  境内周りの市道拡幅工事の現場もまた、この雪に切ない思いをされました。計画変更を余儀なくされ、その上除雪作業が加わりご苦労されました。その道が1月27日の晴れの日に舗装が行われ開通しました。6m道路ですから車同士のすれ違いも楽々です。地域の皆さんのご支援に感謝です。


境内整備および本堂トイレ改修のお知らせ

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい  上記市道拡張工事に際して境内地の一部が長岡市に売却され、また石垣や車庫等が移転補償の対象となりました。道路が開通したことに引き続き境内地の修復整備を行います。旧保育園舎跡地が砂利敷きになっていますが、舗装をして駐車場にします。石垣は鐘楼前を中心に再構築します。また、消雪用の地下水ポンプを地中に埋めて駐車場の消雪配管をします。
 本堂トイレについてはこれまで男女共用でしたが、気兼ねなしに使えるようにするため、男女別の構造にします。これまであまり表だって苦情は訴えられませんでしたが、老若男女を問わず気持ちのいいものではありません。きっと我慢してくださっていたのでしょう。昨年末の役員会に提案したときも「それはいい」とご賛同いただきました。早い雪解けを期待して、4月19日のお取越報恩講までにできたらいいと思っています。


新食事のことば

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい 〔食前のことば〕(合掌)
●多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
○深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
〔食後のことば〕(合掌)
●尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
○おかげで、ごちそうさまでした。


 本願寺から「食事のことば」が新しくなりましたとお知らせが来ました。
 食前食後に手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」は定着した日本文化です。私はこれを普段実行していただくだけで十分だと考えていますが、大勢の方々とお食事をいただくとき、声を揃えて唱和することはまたいいものです。変更になったのは●の部分だけです。発声者が●部分を言ってから、○部分を一同で唱和します。
 多くのいのちをいただかなければ私たちのいのちは保てません。その上食卓にご馳走があがるまでに多くの方々が係わっておられます。それを当たり前のことではなくご恩と感じとることが大切です。このたびの改訂を機にお家でお仲間と一緒の場で実践してみてはいかがでしょう。


親鸞聖人750回大遠忌法要本山団体参拝

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい  先に本紙第58号でご案内いたしましたが、来年(平成23年)11月8日(火)〜11日(金)に元上組の団体参拝旅行が企画されています。この案内リーフレットと仮申込について年始総会および日曜法座の折りにお知らせいたしましたが、ご門徒さん全戸に配布することはできませんでした。仮申込の期限が1月31日になっており、このおたよりが届けられたときには期限が過ぎてしまっています。もしご参加をご希望の方は2月10日までに住職宛ご連絡ください。また、お問い合わせやリーフレットご希望の方もお知らせください。

右の絵は、法語カレンダー2月「聖人伝絵:得度出家」より引用しました。
聖人は9歳で出家され、「明日ありと思うこころのあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と詠われました。


感話 「全てがわたしにちょうどいい」

第62号 感話:全てがわたしにちょうどいい  一昨年6月に秋葉原で起きた無差別連続殺傷事件の裁判が始まり、改めてあの事件の理不尽さに憤りを感じられる人も少なくないでしょう。「何でも自分以外の『せい』にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だった」「今後の裁判で『時代のせい』『他人のせい』を言い募るなら、空しいばかりだ」と朝日新聞天声人語(22.1.29)は述べています。
 次の一節はハワイのパロロ本願寺で開教使をされている西脇誠五郎さんから送られてきた寺報新年号の冒頭部分です;
全てが あなたにちょうどいい。
今のあなたに 今の夫がちょうどいい。 
今のあなたに 今の妻がちょうどいい。
今のあなたに 今の親がちょうどいい。
今のあなたに 今の子どもがちょうどいい。
今のあなたに 今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに 今の友人がちょうどいい。
今のあなたに 今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日も あなたにちょうどいい。
西脇誠五郎さん「KUYE」2010年1月号より

この原典はお経にあるのだそうです。「私たちが日頃抱く不平不満は、相手が自分の思うようにしてくれないと、腹を立てて相手を責めているのです。何か不都合があると自分を責めずに、全て相手のせいにし、相手に不平不満をぶっつける」(西脇誠五郎)。人ごとではなく振り返れば多かれ少なかれ似たようなことをしています。「全てが私にちょうどいい」と受けとめるとはなんとすてきな生き方かと思います。自分の連れ合いを自分にちょうどいいと思えると、自然に自分にはもったいない存在と思えるようになるのだそうです。親鸞聖人ご夫妻はお互いを観音菩薩の生まれ変わりと思い続け、しかも生涯それを口にしなかったそうです。「それってすっごいことだね」「そんなこと考えてみたこともない」など感想が聞こえてきそうです。
 自分の身に起こることはいいことばかりではありません。でもそれらはすべて阿弥陀さまからのいただきものなのです。「身みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし:自分に起きることは誰にも代わってもらうことはできません」(仏説無量寿経) その私を阿弥陀さまは見捨てないと誓われています。


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