第57号(感話:良寛さんと虱) [ 平成21年9月1日 ]
境内地前道路拡幅工事
鐘楼前の「ツイン欅」がなくなりました。そればかりでなく石垣の上の木々はみな伐採されました。切られた木々に申し訳ないという思いがあります。また、これらの木を可愛がってくださった方々にはお叱りを受けるかも知れません。鐘楼前から保育園玄関前を抜ける市道宮内64号線が今年度中に拡幅されて6m道路になります。これは前川地区協議会はじめ、地域の方のご支援で実現するものです。道路拡張のために寺境内地の一部が長岡市に売却され、今回の木々伐採はそのために行われました。これからさらに境内地をぐるりと囲んでいた石垣の一部が取り壊されます。これもさびしく感じてくださる方がおられるでしょう。てらだよりHPで変わっていく様子をお知らせします。
写真は伐られる直前のツインケヤキ 8月25日
キッズサンガ
耳慣れないことばでしょうか。今本山が力を入れて進めている活動の一つです。キッズは「こどもたち」、サンガは「僧伽」と書き、「仏教者の集団」を意味します。お寺に子どもたちが集えるようにしよう、お寺を子どもたちの居場所にしようという取り組みです。託念寺では恵以真会の行事として春秋のお彼岸を「家族礼拝の日」としてやってきておりますが、本山はすべての寺院で「キッズサンガ」を実施するように呼びかけているので、今秋のお彼岸会は「家族礼拝 −キッズサンガ−」と銘打って、それ用ののぼりを立てて行いたいと思います。これから計画しますので、どうぞご協力ください。
写真は伐られた後の石垣と鐘楼
感話 「良寛さんと虱(しらみ)」
8月28日新潟別院で「平和を誓う念仏者のつどい」がありました。長岡空襲を体験され、お姉さん、お父さんを亡くされた金子登美さんのお話をお聞きしました。昭和16年12月の真珠湾攻撃のことからお話しが始まりました。山本五十六司令長官が長岡出身であったので、そのニュースを勝利に酔うお祭り騒ぎのように聞かれたそうです。お話を伺いながらきっと山本五十六さんは今で言えば、オリンピックで金メダルを取ったような英雄的な扱いをされたのだろう感じました。さまざまな歴史書を読んでみても山本五十六さんのことを悪く書いているものは少ないと思います。私も高校のとき講堂に飾ってあった山本五十六元帥のかっこよい肖像画が目に焼き付いています。書物やテレビ等で、真珠湾攻撃の奇襲は、軍事力において日本が圧倒的に不利であることを知っていて少しでも早く有利に戦争を終結するために山本五十六さんが決した苦渋の行動だったと説明されるとどこかホッとしていました。そんなとき、私のこころの中では今でも山本五十六さんを英雄のままにしておいてほしいと願う気持ちが根強くあるのだと気づきます。
金子登美さんは小学校6年生でした。焼夷弾の雨が降った長岡の街のまっただ中で逃げまどい、お母さんに手を引かれて奇跡的に生き延びたその晩の出来事がリアルに語られました。私は戦争の非人道性と残虐性を強く感じました。人が密集しているところへ爆弾を投下する。平時には誰もそんなことが自分にできるとは思わないことです。戦争の恐ろしさです。と同時に人間の身勝手さを感じました。戦争の爆撃を受けて恐(きょう)懼(く)するのは相手も同じであるはずなのに、また大事な人を殺された悲しみは相手も同じであるのに、自分の身にそれが及ばなければ、ほとんど分からないのです。それどころか何千人の人を殺しておいて勝利に狂喜するのです。山本五十六さんはどんな理屈をつけても正当化されることはない行為を本当はしてしまったのです。私たちが、戦争を早く終結するために原子爆弾を使ったのだとアメリカが主張しても受け入れがたいと感じるように、真珠湾攻撃も決して正当化されるはずはないのです。アメリカが「真珠湾を忘れるな」と言うのは当然のことであったのです。
金子登美さんは、「山本五十六さんが戦争の最前線に出向いて戦死したのは自ら命を絶ったようなものです」とおっしゃった。正当化されるはずのない戦争の責任を強く感じていたのかも知れません。戦争は人殺しです。人殺しが正当化されることが戦争です。
「殺(せっ)生(しょう)は悪いことである。」仏教で最も大事な教えであると思います。どんな殺生も悪いことだと言えば、それは極端だと否定されるかも知れませんが、仏教は毅然として「どんな殺生も悪いこと」と教えているのです。
しんじんのうた勉強会でひろさちやさんの「私の歎異抄」を読んでいますが、ひろさちやさんが「一(いっ)殺(さつ)多(た)生(しょう);一人を殺して大勢を生かすことができるなら、それは菩薩の精神である」として戦争を礼賛(らいさん)した過去の仏教者の誤りを強く批判しています。善悪を自らの都合でいくらでも変えていくことは怖いことです。善悪について仏教者のあるべき態度の見本として良寛さんの逸話があげられていました;
良寛さんが縁側で日向ぼっこをしていると、襟元から虱(しらみ)が這い出してきました。良寛さんは虱をそっと摘んで縁側に置き、虱にも日向ぼっこをさせてやりました。夕方、「寒くなったでしょう。お戻りなさい」と言って、虱を着物に戻してやったそうです。良寛さんにとって、虱は血を吸う害虫としてだけ存在しているのではありません。仏教者として、その命を丸ごと見つめ、慈しんでいるのです。 合掌
写真は伐採後の景色(上) 伐採中のクレーンと無量寿堂屋根工事(下)
穂が出た田んぼ
写真は8月8日です。今年は日差しが少なく、気温も上がらない夏でした。これからでも天気が回復して欲しいです。