浄土真宗本願寺派 託念寺のホームページ

浄土真宗本願寺派 託念寺

第50号 [ 平成21年2月2日 ]

2月の法語

第50号 「信心すでに えんひとは つねに 仏恩(ぶっとん)報ずべし 」

2009年法語カレンダー(真宗教団連合刊)の2月カレンダーより


託念寺年始総会のお礼

第50号  1月2日に年始総会が開かれました。道足の悪い中大勢の方にお参りをいただきました。本堂に100人近く集われたでしょうか。お正信偈の唱和は気力充実を全身に感じました。ご門主様の年頭の辞に「全国の門信徒が声高くお正信偈を唱える姿は本願寺の宝です」と記されていましたが、そのまんまが託念寺にもありました。敬信の喜びを共に致しました。
 総会では20年度事業報告と決算案、21年度の事業計画と予算案の承認がなされました。あわせて1月24日で任期満了をむかえる門徒総代の再任と役員の交代が報告されました。門徒総代は吉原勇夫さん、吉原勉さん、吉原松雄さん(会計担当)に引き続きお願いすることになりました。また、世話方として長くご尽力いただいた平澤重男さん(宮内地区)と星野正栄さん(片田地区)が退任され、小林秋雄さんと星野勳さんがそれぞれ新任されました。平澤重男さん、星野正栄さん本当にありがとうございました。新しいお二方にはお引き受けいただいて心より御礼申し上げます。


写真は1月28日撮影
24日に20cmほどの降雪がありました。25日は朝氷点下6度まで下がりました。28日は雲ひとつなく晴れ上がりました。


納骨堂の建立

第50号  今年度事業として納骨堂の建立が認められました。近年の家族構成やお墓に対する意識の変化から、それに対応する必要性が前住職の頃から指摘されていました。お墓のない方が亡くなられたとき、お墓を建てようか否かと迷われることがあります。特にお子さんがおられなかったり、嫁いで家の跡取りがいないという場合、お墓を建てても護ってくれる人がいないからです。このたび建立する納骨堂は、ご本尊荘厳壇、共同収骨墓、納骨檀(個別)、墓碑銘板(石碑)から成ります。ご利用の流れを概略説明します。49日忌のご法事が終わって後、お骨箱をそのまま納骨檀でお預かりします。墓碑銘板に故人の法名・俗名・ご命日を刻字します。そののち17回忌ないし23回忌を機に共同収骨墓に納めます。ご遺族はお墓参りの感覚でいつでもお参りできます。これまで託念寺にご縁のなかった方でも浄土真宗であることを条件にお受けします。遠方にお住まいの方でも可能です。春に着工して秋のお彼岸前に竣工の予定です。場所は、参道を本堂に向かって歩いて右側、親鸞さま銅像の左側になります。お問い合わせはご遠慮なく住職宛にご連絡ください。


絵はCGイメージ図です


感話 そうか、もう君はいないのか

第50号  城山三郎さんの書かれた本です(新潮社2008)。連れ合いがどこで見つけたのか買ってきて読んでいました。いつかNHKのテレビでもこの本を紹介していたのを思い出しました。お連れ合いを「君」と呼ぶ題名にも強く惹かれて読みました。骨太の、男の人が読みたくなるような小説を書く城山三郎さんが、おのろけのような夫婦の物語を遺してくれたのです。「愛(いと)おしい」妻容子さんのことを人目憚(はばか)らず、思いっきり「好き好きでたまらなかったよ」と行間からあふれ出るように書いておられます。
 誰にも出遇(であ)いがあって出遇いによって人生が形作られていきます。特に夫婦の出遇いは、その人と出遇わなかったら、人生は全く違ったものになるくらいの影響力をもっています。題名からして奥さんが先に亡くなるのだなと知らされているのでその覚悟で読み進みますが、進行中の今はいつも明日が分かりません。病気にかかっていなくても私たちのような年齢になるといつ何が襲ってくるのかとわかりません。「妻」と題した詩は、夫婦共に健康であったときに書かれたものなのでしょう。「「おい」と呼べる君が律儀に寝息を続けてくれなくては困る」とは決して面と向かっては口にできないステキなラブメッセージですね。このフレーズをどこかで使いたいと思いませんか。しかしこの思いは、やがて必ず訪れる永遠の別れを肌に感じて発せられたことばでもあります。
 そしてあるとき、思いがけず早くその重い現実が訪れます。
 「最愛の伴侶の死を目前にして、そんな悲しみの極みに、残される者は何ができるのか。
 私は容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった。」(p132)
 「容子永眠享年68歳
 あっという間の別れ、という感じが強い。
 癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月と少し。
 4歳年上の夫として、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
 もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。」(pp133-134)
 先般の日曜法座でこのお話しを致しました。お参りされている中に伴侶を亡くされている方も少なくありません。夫婦の物語は違っていてもそれぞれに「そうか、もう君はいないのか」とつぶやいてこられたに違いありません。坊さんの私もそんな日が来ないことを、やはり祈ってしまっています。合掌


 妻(城山三郎著:「そうか もう君はいないのか」(pp103-105)より

夜ふけ 目ざめると
枕もとで何かが動いている
小さく咳くような音を立てて
何者かと思えば
目覚まし時計の秒針
律儀に飽きることなく動く
その律儀さが 不気味である

寝返りを打つと 音は消えた
しばらくして おだやかな寝息が
聞こえる 
小さく透明な波が
寄せては引く音
これも律儀だが  冷たくも 
不気味でもない

起きている間は いろいろあるが
眠れば 時計より静か

「おい」と声を掛けようとして やめる
五十億の中で ただ一人「おい」と
 呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る


フォトギャラリー  平成20年年末大掃除お道具磨き

第50号 20年12月30日 恒例の本堂大掃除です。20名を超える方々が参加してくださりお磨きをいたしました。
おかげさまできれいなお荘厳で正月を迎えられました。


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