第41号 [ 平成20年5月1日 ]
新緑が嬉しい五月です。
新緑が嬉しい五月です。木々の緑が日ごとに濃さを量を増していくこの時期、大地の生命力を感じます。
農家にとっては忙しい季節のはじまりでもあります。私どもの周りには田んぼと畑が広がっていて、台地の恵みをいただくために足繁く作業に通われる地域の方々の姿をよく目にします。
食の安全についてたびたび報道されていますが、一つひとつのたべものは本来どれほど手間がかけられているものかもっと知らなければと思います。また田んぼや畑を守ってくださることがどれほど自然環境を保つことに寄与しているか理解が深められなければなりません。CO2の削減にも大きく貢献しています。
浄土真宗の教章 (私の歩む道) の制定
「教章」は「宗制 (しゅうせい)」の要旨を簡略にまとめ、本願寺派の門徒が心に銘ずべき浄土真宗の肝要を示したもので、昭和42年4月に当時の大谷 光照ご門主が初めて制定されたものです。そこには「教章 ― 私の宗教 ―」と副題が付けられ、「宗名」「宗祖」「本尊」「経典」「教義」「宗風」の6項目について肝要が述べられています。
今回の制定では副題が「私の歩む道」と改められ項目も9つになっています。ご門主様は、この教章を身近に備え、折に触れて参照して浄土真宗に親しんで欲しいと述べられています。
(本願寺新報 4月20日号参照)
※ 下記に今回制定された教章を掲載しました。
感話とともにご覧ください。
感話 慚愧 (ざんぎ) と歓喜 (かんぎ)
この度制定された教章<生活>のなかに表題のことばがでています。従前の教章にはなかったことばです。
去る19日の当山お取越報恩講で布教使の真敷 祐弘先生が妙好人 (註) 浅原 才市さんのお話をしてくださり、こころに残りました。
浅原 才市さんの肖像画を有名な画伯がお描きになりました。その絵を見て才市さんは私に似ていないとクレームを付けます。画伯は立腹しますが、そのわけを尋ねると私の顔に角 (つの) がないからだ話されました。画伯は納得して角のある肖像画をもう1幅描いてそれもまた贈られたそうです。
またこの才市さんを髣髴とさせる詩を紹介していただきましたが、ご聴聞された方々には笑いとともに大きな頷き (うなづき) がありました。
うちのかかあの ねがおを みれば 地獄の鬼にそのまんま
うちの家には 鬼が二匹おる 男鬼に女鬼
あさましや あさましや
この詩の前半分は、夫婦げんかでもした後ならば、誰にも心当たりがありそうなことで、思わず失笑しますが、後半分は才市さんのお念仏のこころです。才市さんのノートには2ページにわたって「あさましや」が書かれ、その後5ページにわたって「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」と書き綴られているのだそうです。
ひとの鬼姿はすぐに見えますが、自分の姿はなかなか見えません。腹を立てるときはその原因がすべて相手にあると思いこんでいるときですから、鬼の形相をしていてもそうさせているお前が悪いんだとなるのです。真敷先生のお話をご聴聞させていただいてから、浅原 才市詩集『ご恩うれしや』 (浅原才市翁顕彰会編 1981) を開いてみました。
わしのこころが あなたにむけば やれあさましや あさましや
あなたのこころが わたしにむけば やれありがたや ありがたや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ここでの「あなた」は仏さま (阿弥陀さま) のことです。私も何かものを言って連れ合い (連れ合いでなくてもいいのです) を不機嫌にさせたとき、ちょっと間をおいてから仏さまの前で静かに手を合わせると、またつまらぬことで怒らせてしまったと決まって情けない気持ちがわき上がります。これを慚愧 (ざんぎ) というのでしょう。でも才市さんは「ざんぎもせずに はずかしや はやくにげたい はずかしや はずかしや」と慚愧が半端ではありません。そしてこれほどにあさましい自分の姿は、仏さまによってようやく見抜かせてもらったと「やれありがたや ありがたや なむあみだぶつ なむあみだぶつ」の歓喜 (かんぎ) の念仏で結ばれるのです。
合掌
註) 妙好人 : 信仰心が篤い在家念仏信者を賞賛して言う言葉
浄土真宗の教章 (私の歩む道)
<宗 名>
浄土真宗
<宗 祖>
(ご開山) 親鸞聖人
ご誕生 1173年 5月21日 (承安 3年 4月 1日)
ご往生 1263年 1月16日 (弘長 2年11月28日)
<宗 派>
浄土真宗本願寺派
<本 山>
龍谷山 本願寺 (西本願寺)
<本 尊>
阿弥陀如来 (南無阿弥陀仏)
<聖 典>
● 釈迦如来が説かれた浄土三部経
『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』
● 宗祖親鸞聖人が著述された主な聖教
『正信念仏偈』 (『教行信証』行巻末の偈文)
『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』
● 中興の祖蓮如上人のお手紙
『御文章』
<教 義>
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
<生 活>
親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
<宗 門>
この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同胞教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。