246号 感話 たれか百年の形体(ぎようたい)をたもつべきや [ 令和7年6月6日 ]
6月になりました
水田に水が入るやカエルの大合唱が始まりました。
ほどなく田植えがはじまり、水面には寺の本堂が映っていました。
いつしかカエルの鳴き声はなくなり、か細く揺れていた早苗が日毎逞しくなっています。いのちの営みです。
長岡市花まつり募財(喜捨袋)御礼
5月5日に長岡市花まつりが開催されました。当日は晴天に恵まれお稚児様はじめとするお練り(市中行列)も賑々しく行われました。
これに先立ってご依頼した喜捨袋に多大なご協力をいただきました。 総額:36,580円 と寺院協賛金1万円を添えて長岡市仏教会に届けることができました。御礼申し上げます
日曜法座研修会
ご講師に鑓水淳さん(長永寺様当院)をお迎えしました。
法名の意味と由来をお話くださいました。お釈迦さまの時代に遡(さかのぼ)り、カースト制の根強いインドで、お釈迦さまは仲間に加わったお弟子さんの出自を問わず、共通に「釋:シャカ族の一員」という名前をかぶせられたことに由来していると。さらに中国に渡ると氏名を苗字の1文字と次の2文字で名前を表していたので、釋○○と漢字2文字が標準形式になったと説明されました。法名をいただく儀式「帰敬式」では、導師がおカミソリを当てて、「南無帰依仏(なむきえぶつ) 南無帰依法(なむきえほう) 南無帰依僧(なむきえそう)」と称えます。僧は「サンガ」といい仲間という意味です。仏弟子の宣言は「仏法を依りどころに、仲間(同朋)を依りどころにして生きていきます」と決意することですと。心が温かくなるお話をいただいて、お仲間の顔が穏やかにほころんでいると感じました。
5月21日は親鸞さまの誕生日 -降誕会-
こども園の降誕会行事に、絵本「おかげさま -いのちのまつり-(草場一壽作 サンマーク出版)」を読みきかせしてもらいました。翌日夕方鐘撞きに園児が来てくれました。さくら組(年長児クラス)のRちゃんが私を待っていて「先生、昨日の絵本大好き」と話しかけてくれました。「あぁおかげさまの絵本?」と応えると、ちょっと離れたところからママが「昨日お家で親鸞さまの誕生日に読んでもらった絵本の話をするんです。『先生がぐるぐると線を書いて、先生はこの辺なんだって もうすぐ死んじゃうところ』と言って泣いたんです。」「Rちゃん、ありがとう」と思わず頭をなでました。
人生をラセンで表して、いのちの始まりといのちを終わりを示します。始まったいのちは必ず終わるときが来ます。5歳児もそれなりの人生を歩んだと実感しているのでしょうか。ラセンの真ん中辺を自分のいる位置と言ってくれた男児がいました。私も含め保育士さんからも思わず爆笑がおきました。そして理事長先生は?と訊ねると終点にかなり近いところを示してくれました。他の子どもたちからも頷きの表情がありました。きっとそうだと思いながら、それが本当なら、もうすぐだとハッとしたのかもしれません。私の残り少なさだけなく、お家の祖父母にも思いを広げたに違いありません。Rちゃんが時を経てこのときのことを振り返ると、やっぱりそうだったと思い出すでしょう。
感話 たれか百年の形体をたもつべきや
長寿社会になり、ご高齢であってもお元気な人は身近にも少なくありません。平均寿命はどんどん延びています。それでも年相応の老いや病を抱え、薬を飲み忘れないように健康管理して生活しています。1年に一度の健康診断を受けてきましたが、最初の血圧検査でこれまでにない数値になりました。私の表情を見て再計測してくれたのですが、同じでした。自信のあった血圧、安心は禁物の警告でした。
先日面白い記事に出会いました。「新潟新聞を読む会」で明治時代の浄土真宗関係の記事を読んでいます。 明治44年4月22日:「本願寺大遠忌の椿事(ちんじ) ~老婆肋骨を折らる 重軽傷者百余名~」の見出しで始まっています。今から百年余前の親鸞聖人650回大遠忌法要には全国からの連日数万人の参拝者で本願寺周辺があふれかえり、朝の開門と同時に人が殺到して多くのけが人が出る事態となりました。見出しの負傷者は「幾百人の群衆に踏みにじられ肋骨三枚を折り生命危篤の状態に陥った」とありました。そこには氏名と年齢が記され52歳と表示されていました。不謹慎ながら笑ってしまいます。52歳が老婆です。百年前のことです。
そうしてみると、お釈迦さま80歳、親鸞聖人90歳、蓮如上人85歳のご往生の年齢は、それぞれの時代で超長寿になりますが、その当時にして晩年のお三方の活動内容たるや現代人に匹敵して劣りません。蓮如上人の御文章(白骨章)にある「一生過ぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや」はそのまま現代にも通じることです。長寿実現はありがたいことですが、それでも生老病死は避けられないことですし、老いは進行し思いがけない病に遭遇します。
人生をラセンに譬えれば、Rちゃんが泣いてくれたように終点が近づいています。今朝も目が覚めて、無事に歩けて、トイレに行って、朝ドラを愉しむことができました。有り難いことです。これからもお仲間と共に、お仲間に恵まれたことに感謝して日暮らししたいと思います。合掌