この週末は雨になりました。一時は大雨警報が出たので心配しましたが、被害が出ずに済んでよかったです。雨が降るとあじさいが本当にきれいですね。アマガエルも生き生きと跳びはねています。梅雨には梅雨の味わいがありますね。
先々週と先週は、未満児組さんを中心に手足口病が流行りました。口の中にブツブツができて痛くて食べられないというお子さんもいて、かわいそうでした。感染症なので、手足口病と診断されれば、お医者さんから登園許可がでるまで休んでいただかなくてはなりません。1〜2日で登園できるお子さんが多かったですが、兄弟が順番にかかれば、お家の方の負担も大きくなります。仕事も休まなければならず、大変だったことでしょう。今週は下火になることを願っています。
さて保育園ではいよいよ今週からプールが始まります。明日のプール開きに備えて、今日早速さくら組さんがプールのお掃除をしてくれます。ありがとう。楽しいプール遊び・水遊びができるように、お家での「早寝・早起き・朝ご飯」をどうぞよろしくお願いいたします。
いろんな願い事がありましたね。「プリキュアになりたい」「サッカーの選手になりたい」「ディズニーランドに行きたい」・・・みんなの願い事が本当にかなうといいなぁと思います。
ブラックシアターで彦星様と織り姫様のお話を聞きました。切な〜いお話ですね。1年に1度、それも晴れていないと会えないなんて。今年は雨だったから、会えなかったのでしょうか。
その後は、今年度初めての会食をしました。幼児組だけで80名いるので、おゆうぎ場での会食も難しくなりました。今までのようにテーブルを出したのでは、幼児組全員が入りきれません。でもなんとか一堂に会して食事をしたい・・・先生方が知恵をしぼって考えました。そして出た答えは・・・椅子が一人ひとりの食卓になりました。椅子に、パンと牛乳とおかずとゼリーと箸を載せ、その前に一人ひとりが座りました。ちょっと狭かったけど、みんなでいただく給食はおいしかったですね。いつもとは違う雰囲気の中、お隣さん同士で話がはずんで、とても楽しい会食になりました。
この1ヶ月の花や野菜の生長には目を見張るものがあります。花の株は一段と大きくなり、野菜の背丈もずいぶん伸びました。
この間、さくら組さんが園長室に来てくれました。「これ、どうぞ」。ジョアの花瓶にいろんな花が挿してありました。ビオラとパンジーとタイム。色とりどりの花色がとても素敵です。タイムのい〜い香りもしました。花を摘んで花瓶に挿して、それを各保育室に届けてくれたとのこと。園長室に飾ると、お部屋がパッと明るくなりましたよ。
野菜の収穫も始まりました。きゅうりの収穫はなんと累計52本です。スゴイ!給食前には前川保育園名物「ピンポンパンポ〜ン」が始まりました。「♪ピンポンパンポ〜ン今日の給食に入っている○○は保育園で採れた○○です。残さず食べてね。今日の放送は□□・△△・◇◇でした。♪ピンポンパンポ〜ン」これを聞くと、小さな子どもたちは「お兄さんお姉さんが育てた野菜だから、残しちゃいけない。頑張って食べよう。」と思うのです。嬉しいですね。
さくら組だけではなく、うめ組も頑張っています。自分の花ポットにじょろで一生懸命水をかけています。「話しかけながら水やりするとお花が元気になるよ」と先生に教わって、早速「大きくなってね」「きれいに咲いてね」と話しかけていました。
長らくお待たせしました。場所が2階ですし、午後5時までと時間の制約があるので、ちょっと利用しにくい所もありますが、ご容赦の程を。今までよりも本の冊数は増えました。どんどん利用してください。
今週からプールが始まるため、園庭開放は中止しました。プールに水を張ることになり、危険だからです。ご理解の程お願いいたします。
今月は理事長が書いたものをそのまま添付させていただきます。浄土真宗本願寺派保育連盟発行の「保育資料」という冊子に掲載されているものです。文字数が多くて嫌だ〜と言わず、どうぞ読んでくださいね。
「ありがとう」「ごめんなさい」と言えるこころを育む
英語で浄土真宗のみ教えの本質をわかりやすいことばで表現するならば、「Thank you」と「I am sorry」ですと教えてもらったことがあります。日本語に直せば、「ありがとう」と「ごめんなさい」です。
「ありがとう」の語源は仏教語の「有り難し」です。その意味は人間としていのちをいただいたことと仏法に出遇えたことです。親子の出遇いもまた有り難い不思議なつながりの中に存在していることに気づきます。親は子を選べず、子もまた親を選べずに親子のご縁をいただきます。かけがえのないいのちに恵まれ、親子の関係を結ばせてもらえたことにまず「ありがとう」と心の中で手を合わせたいと思います。
子どもにとって親の存在意義は、無条件に「かわいい」と抱き包まれることです。子どもは、自分のことをどんなときでも心配してくれ、大切にしてくれる人がいると感じたら安心します。自分に自信ができます。人を信頼する心が育ちます。親の愛情が「ありがとう」と素直に言える基礎をつくるのです。ありがとうの心を育む最も大切な時期が乳幼児期にあります。そして保育園・幼稚園での先生と子どもの関係も同じ事が言えます。保育園や幼稚園で自分が先生に大事にされていると思えたらもう安心です。
次に「ごめんなさい」です。東日本大震災のあとしばらくテレビからCMが消え、それに代わって金子みすゞさんの詩「こだまでしょうか」が繰り返し流されました。
前半は、子どもたちが遊んでいる光景を思い浮かべることができます。仲良くなったりケンカしたり、子どもたちはストレートにことばに出します。ささいなことでケンカ別れをします。そして私はこの詩の後半が好きです。子どもの世界とはいえ、ゴメンネと言うには勇気が必要です。振り返ってみると相手のせいにしてケンカ別れしたけれど、私だっていじわるだったなと気づきます。思い切ってあやまると、相手も同じ気持ちになっていたのです。子どもの世界だけでしょうか。いいえ、大人になっても。いくつになっても。どんな仲良しでも。夫婦でも。親子でも。死ぬまで。大人がこころから「ごめんね」というとき、涙があふれます。そのこころは子どもに響き伝わります。そんなこころをもちたいと思います。
「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるこころを育てることは、しっかりした人間関係を形成する土台づくりでもあるのです。
『こだまでしょうか』
「遊ばう」っていうと
「遊ばう」っていう
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう
さうして あとで
さみしくなつて
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう
こだまでしょうか
いいえ 誰でも